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Title : Legislation to deal with emergencies
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Contemporary Files #20020520
守るべきもの(1)
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 この1か月、何かと忙しくて更新できなかった。
 別に何かトラブルがあったってわけじゃないのでご心配なく。
 この間の大きなネタと言えば有事法制とメディア規制法案と、瀋陽の総領事館内連行事件かな。でも一度に書けないので順番に。で、今回は「有事法制」について。

 国会で何が起こってるか興味を失いかけた頃をねらったんじゃないかと思えるタイミングだよなぁ、この武力攻撃事態法案、自衛隊法改正案、安保会議設置法改正案からなる有事関連3法案の閣議決定。で、だいたいこの手の法案が出ると、それぞれの主張って判を押したように決まってるので面白くないっていうか、つまらない。…という言い方は不謹慎だと怒られそうだけど、どうもね、私にはね、誰もが思考停止して条件反射で反応してるようにしか見えないのでね。きっちりと考えてみたいのだわ。そのために、例によって例のごとく、敢えて意地悪な問題設定をいくつか行う。

 この際、あなたの政治的立場だの能力だのは問わない。とりあえず、あなたに日本の全権が与えられていることとする。独裁ってわけじゃないけど、やりたいと思った政策が法制化されて(必要とあらば憲法だの条約だのも改正して)予算がついて実行可能な状況にあるとする。あなたに問われるのは、立場の一貫性のみ。そこで日本の安全保障をどうしたいのかを考えてみてほしい。そしてこれからいくつか書き記す質問とその後の展開について自問してみてほしい。

■「日本」を「守る」とはどういうことか?

 戦争であろうがテロであろうが、とにかく、そういう大規模な被害が発生するような事態が起こったときに、あなたが守るべき対象は何だろうか。そして守るためにどういう手段が採るべきか。
 あなたが守るべきは、日本という国・制度・機能だろうか。国民の生命と財産だろうか。その「国民」とは日本国籍を持つ者だろうか、その時点で日本に在住している者だろうか。

 また、その守るべき対象の一部が頑強にあなたの邪魔をする(もしくは良心的不服従する)場合、あなたは彼らをどう扱うだろうか。強権をもって排除するだろうか。それを甘受して施策を継続するであろうか。

 また、有事の認定が問題ではあるが、あなたはどの時点で有事宣言を行うのか。
 「有事の恐れ」の時点で宣言するなら、その判断の根拠をどうやって示すのか。つまり、どのような情報をどのような手段で入手し、それが示す事実から得られる解釈はどれだけあって、どれが蓋然性が最も高いと判断したか。そしてその判断した理由は何か。さらにその判断に基づき、採り得る選択肢はどれだけあって、実際にどれをどのような基準で採択するのか。それが説明されるべきであろう。
 一方、「有事が発生した後」で宣言するなら、一体、どれだけの犠牲が出た段階で宣言するのか。「有事の恐れ」では発動しないのであれば、発動するのは発生後。発生後というのは、どこかで「ドンパチ」が始まったということだ。その後に宣言するってことは、「誰かが死ぬまで宣言しない」って言ってるようなもんだ。

■健全な与党精神

 なんだか有事法制に賛成する側も反対する側も、あんまり本気でそんな有事が発生するなんて考えてないんじゃないかな、という気がしている。
 というのは、もしそういう事態が起こり得ると本気で考え、対処しようとするなら、世界の様々な地域で起こる様々な問題を常に解析し、その日本に対する影響を分析し、事態の緊迫度・緊急度を評価するシステムが独自に−というのは外国の情報機関を通じずにという意味だけれども−必要であるし、そのシステムから得た情報を、国家の首脳部が適切に判断するしくみが必要である。そしてそのシステムはフォールト・トレラントでなければならない。システム自体が機能しなくなる事態を防ぐのはもちろん、そうなりそうなときにすぐに代替が可能となるしくみも必要だ。
 そもそも今の憲法は有事を想定してないんだから、その点ではあまいといえば甘い。だから賛成するなら、そして徹底して実行可能な(現実に日本を守ることのできる)方策を整えるなら、あまりにもやらなければならないことは多い。
 逆に、反対する側にもいろいろと立場があって、「有事法制は必要だがこの法案には反対」という立場から、「有事法制なんて考えること自体がダメ!」という立場もある。それならそれで、そのために必要なことって山ほどあるだろうに。
 徹底して非武装・非暴力を貫くなら、そのような手段で採り得る方策を示す必要があるだろう。「日本は非暴力でぇす」と宣言しても、それをいいことに攻めてくる集団(国家とは限らないかも)が仮にあった場合(ないのならないという根拠を示すべきだ)、それでも非暴力(さらには無抵抗)を貫く覚悟があるのか。主張する人々だけでなく、全国民にそれをどうやって貫かせるのか? そのための採り得る手段は何か。
 武力に訴えるくらいなら滅びたほうがよいという価値観もありうるが、それは果たして国民の総意となり得るか。

 いや、すまない。 批判だけするなら、それは健全ではない。
 問題点を指摘し、建設的な批判を行うのであれば、それは「健全な野党精神」と言えるだろうと思う。必要なのは「健全な与党精神」だと思うのだ。

 健全な与党精神というのは、健全な野党精神よりも必要かつ重要だと私は思う。

 国でも組織でも何でもいいが、人間の集団ってのはある程度大きくなれば、(その立場を買って出るか押し付けられるかはともかく)集団としての行動の方向を定める責任者とその執行者が必要となる。その集団の構成員が完全に同じ価値観を共有し、ある問題に対する選択が全員が一致するのならともかく、たいていはそうではないので、どこかで反対を押しきって行動を選択しなければならなくなる。
 今あなたが所属している組織なりコミュニティなりが何かをしようとしたときに、その具体的な方途がなかなか決まらないことなどザラにあるだろう。その時、結局、多数決を採ったり、決められた日時までに態度表明しなかった場合には結果に対して白紙委任したとみなすことだってよくあるだろう。
 つまり、「そんなこと言うなら、お前、やってみろよ」と言われて、それが実行できるようなものでないと、批判のための批判に陥る危険があるということ。どうせ批判するなら、徹底して実行可能な代替案を提示することが必要だと思う。

 今の国会の論戦(と言えるのか)を見てると、「結局、国は国民を守るつもりないだろうなぁ」という暗鬱たる気持ちだけが残る。
 日本には、日本の安全保障をきっちり考える知的集団が必要なんだってば。


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Updated : 2002/05/20