Location : Home > Contemporary Files > 2002
Title : The Fanatic
Site:Felix Logo
Contemporary Files #20020116
人はいかにして狂信的になるか
/ BBSへGo! /

 アフガニスタンではタリバン後の統治についての制度構築が着々と進められている。が、その前に私には、“なぜ「タリバン」による支配が可能だったか?”という疑問があり、いろいろと読んでは考えている。巷に流通している、何でもかんでも「イスラムの過激な原理主義による洗脳によるもの」みたいな説明で済ましてしまうのは、あまりに事態を簡略化しすぎて「過激派」「洗脳」というレッテル張りをし、「イスラム」「原理主義」に対する多くの誤解に満ちたものであり、はないかと思うのだ。

 イギリスの社会学者・A.ギデンスは『暴走する世界』(ダイヤモンド社)で原理主義についてこのように書いている。

“ファンダメンタリズムとは「包囲された伝統」である、と。すなわち伝統的なやり方で−儀式的な真理に照らして−保護されてはいるけれども、グローバル化した世界では、その存在理由が問われるようになった伝統を意味する。”

 それゆえに“その存亡は、信条の正統性をいかにして擁護し説得するかにかかってくる”と指摘している。けれどもそれだけのことでは、一定期間、ほぼアフガニスタン全土にわたって実効支配したという現実を説明できないと思う。暴力による威嚇を背景にしながらも、広範な大衆からの「支持」があり、一方で一部に「精鋭部隊」が組織され、その共犯者となるより脱退するほうが恐ろしいという状況が構成されたのではないかと思う。タリバンの指示に従う(敢えてこの状況を「支持する」と表現するが)ことでしか生活を続けられないという仕組みがビルトインされてしまっていたのではないだろうかというのが暫定的な私の考えである。言いかえれば、タリバンのとった統治の手法は『全体主義の起源』(H.アーレント)で示される「全体的支配」だったのではないだろうかというのが、現在の暫定的な私の考えである。アフガニスタンの人々の無知や洗脳からタリバンが生まれたのではなく、タリバンが人々への脅威を醸成することで維持されてきた体制なのではないか、ということだ。

 この説明の構図は『全体主義の起源』で採られているものと似ているのではないかというのが私の着眼であって、“タリバンはナチズムやスターリニズムと同様の全体主義である”と主張したいわけではない。しかし、今居る社会(コミュニティと言ってもよいが)を肯定しなければその社会にいることができないような社会・仕組み・組織が、グローバリズムの波にさらされ、自らの存在理由を誇示する必要に迫られ、信条の正統性を訴えようとする行動原理が、他の社会から見た場合に「狂信的」に見えるという構造なのではないか、と思うのである。


[Previous] : 2002/01/07 : いずこも同じ今年の展望
[Next] : 2002/01/23 : 手続きを守るということ
[Theme index] : 人間
Site:Felix Logo
Updated : 2002/01/16