Location : Home > Contemporary Files > 2001 Title : Who and what are fighting? |
![]() |
9月12日だか13日だか、とにかくテロ発生直後で、私がまだ北米にいる間に、ブッシュ大統領が声明を出して、「これは戦争行為(act of war)だ」と言ったのを、ホテルのTVで見たとき、背筋がゾクっとした。ワクワクしたんじゃないぞ。「ひょっとしたら日本へ帰れないかも」と瞬間的に思ってしまったから。あれ、日本にいる人はどう思ったのかな。国の元首が「これは戦争行為だ」と言ってしまったら、それに対抗する行為は戦争行為だ。もし、あの直後に戦争状態に突入していたら、さらにそれへの報復が激化して、民間航空機が飛ぶどころの話じゃなくなる、もしくは北米内が大混乱になるかもっていう緊張感があったのは確かだ。
この「戦争」を合衆国は「自由と民主主義を守る戦い」だと言う。攻撃されているオサマ・ビンラディン氏側は「信仰ある者とそうでない者との聖戦」だと言う。んー。これ、それぞれ背反事象になってるかというとそうでもあり(という立場もあり)、そうでもない(という立場もある)。
「自由と民主主義」vs.「テロリズム」という図式は間違いではない。「テロリズムに対抗すること」は「自由と民主主義を守ること」とは同義語というわけではないが、その一部であることは確かである。
次にオサマ・ビンラディン氏率いる「アルカイダ」がテロリスト集団である疑いが極めて高い。けれども、9月11日のテロとアルカイダの関連性については、誰もが納得する証拠は開示されているとは言いがたい。限りなく「クロ」に近かろうが、確実に「クロ」と断定できるまでは、とりあえず「シロ」扱いである。仮にアルカイダが実行したのが確定したのであれば、その時点で初めて「自由と民主主義」vs.「テロリズム」が合衆国vs.アルカイダという図式に収まる。
一方、合衆国が「不信心」かというと、イスラムが圧倒的に多いわけではないが、裁判で証言する時とか、大統領就任時には、神に誓ったり、"God bless America"と歌ってみたりして、信仰心がないわけではない。不信心さなら日本のほうが各段に上だ。
さらに、じゃあ、「民主主義」vs.「イスラム」みたいな図式が成り立つかというと、(いろいろ議論はあるのだが)これは誰もが納得できる図式ではない。
これでは、戦闘状態にある両者が、互いに「敵」を表現し得てないことになる。
では、いったい、誰が何と戦っているのか?
![]() |
Updated : 2001/10/22
|