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Title : Yaukuni
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Contemporary Files #20010820
靖国騒動
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 少し前までは「小泉」といえばKYON2のことだった。
 小泉政権になってからは何かと話題にことかかない。

 靖国神社の時の首相が公式参拝することに関し問題とされているのは、戦争賛美の匂いがするからだろう。
 実は靖国神社に関する本とかあちこちの総合誌で特集されていたものをいくつか読み、『ジュリスト』の増刊(『憲法の争点』第3版)をひっぱりしたりして、論点として挙がりそうなものも確認した。けれども、騒ぎの核心はそういうアカデミック(?)なところにはない。軍国主義の匂い、これである。さて、ここで「軍国主義」って何だ? と問うてはならない。その「匂い」で騒ぐには十分なのである。

 政治学上の議論では、日本には「ファシズム」はなかったなんてことも言えないことはない(…と大学の教養の政治学の授業で言ってた)。もちろんこれは「ファシズム」をもっとも狭義に捉えた場合(だってイタリアのファシスト党の方針じゃないかって言えばいい)であって、そういう議論を始めると、“あなたは「ホロコーストはなかった」「南京大虐殺はなかった」とか主張する人と同じなのか”という不毛なことを言われそうなのでここらへんで止めておくことにして。

 もちろん海外、特に近隣諸国の反応という問題もある。けれども、仮に日本国内でいかに威勢のいいことをいい、軍国主義を標榜したとしても、とても今の自衛隊の戦力では他国の侵略は不可能だ。現実的にありえない。四方を海に囲まれた日本が本気で他国を侵略するつもりなのなら、制空権を確保するために戦闘機等を運ぶ空母が必要だが、それはない。次に強力な上陸部隊とそのための装備が必要だ。日本が本気で軍国主義に走ったとき、そして他国の侵略を視野に入れた時には、この2つが増強されるはずだ。ミサイルとか遠距離から確実に目標を破壊する兵器はどうなんだという話もあるけど、これは破壊はできるが、長期間にわたって一定の地域を占領するためには有効ではない。実際に一定規模の兵員が現地に派遣されない限りは侵略・占領はできない。空母と上陸急襲用舟艇。戦争のやりかたが画期的に変わらない間は、これらが増強されでもしない限り、他国侵略の危険性はない。
 …っと。そういう軍備の話をすればいいんじゃないんだな。そういうところに手をつけそうだという「匂い」。それゆえに騒がれているってことなのだと思う。
 つまり、小泉首相の公式参拝を戦争賛美だとか軍国主義だとか批判することが妥当か否かを判断するのに、「軍国主義」の成立条件を挙げてそれを確認するという方法は採れないということだ。話は単純。そんなロジカルな批判じゃないから。「匂い」。これ。
 何しろ、当の小泉首相ですら、主義に基づいて参拝してるとも思えないのだ。正月に初詣に行くように、春秋の彼岸に墓参りに行くように、終戦記念日に靖国に行く。それだけのような気がする。

 私から見れば初詣も(習俗・風習ではなくて)立派な宗教的行為なので、靖国神社への参拝が宗教的行為として禁止の対象になるなら、初詣も禁止すべきだろうなんて思ってしまうけど。(親族の墓参りについては、個人的な行為と見なしていいように思うのでちょっと違うかな。。)

 まあ、それでもがんばって考えてみよう。

 「匂い」のもとは「公式参拝」のほうではなくて「靖国神社」のほうである。「公式参拝」のほうはそれが是とあろうが非であろうが法律論や手続き論でいくらでも方が付く。要するに決めればいい。けれども靖国神社は、その成立から言って、明治維新以降の軍人・軍属を中心に祀っているので「匂い」がプンプンするわけだ。
 ちょっ考えてみてほしい。日本には数多くの神社があるが、その中で武将を祀っている・神体にしている社も少なくないだろう。たとえば豊臣秀吉は文禄の役・慶長の役で朝鮮に攻め入った侵略者だけれども、彼を祀っている豊国神社に誰が参拝しても騒がれない。文禄の役・慶長の役の戦後補償問題が解決したのかどうかはよく知らないが、そこからは「匂い」がしないからだ。今になって元寇の戦後補償問題を日本がモンゴルに要求してもナンセンスなのと同じ。このあたりに問題点の1つが浮かび上がる。当事者(加害者・被害者)がまだ生きており、特に被害者側が「まだ終わっていない」と感じていること、である。その状況下で加害者側の国の戦没者(しかも軍人・軍属)の慰霊を公式な立場で進めるということが、行為の正当化→美化を想起させるのではないだろうか。

 私がBBSで、問われるべきは「戦没者の慰霊」と「戦争の賛美」の分離と、殉国者の処遇について、だと書いた意味がわかっていただけるだろうか。
 そしてこれらは法律を制定すればよいという類の問題ではない。

 「国のために死ぬ」ということがナンセンスか否か。
 仮に現在はナンセンスだとして、それが有意義だと見なされていた時代の人の死もナンセンスとみなすべきなのか。
 死生観と国家観の交錯する場面での徹底した議論が必要なのだ。

 でも、気をつけてほしい。靖国神社でない場所に、狭義の戦没者(戦闘で亡くなった軍人・軍属)を慰霊する施設を設置するということは、「国のために死ぬ」ということが有意義だと見なされていた時代の人の死はナンセンスではないと見なすことと、ほぼ同義である。国家が国民の国のための死をきちんと顕彰するということだ。それが何を意味するのかよく考えてみてほしい。
 何? 当然だって?
 あ、そう。 そう思うなら、もしもあなたが国のための死んだらきちんと顕彰してもらってね。

 国民が国のために死ななきゃならない状態を作らないってのが基本だと思うけどな。


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Updated : 2001/08/20