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Title : Struggle for the ideal
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Contemporary Files #20010709
理想を徹底的に守る
/ BBSへGo! /

 さて。今日書くことは、顰蹙を買うものなのかも知れない。
 私のページの中では、Eyesのコーナーは理想を全面に出して、そこからリアルな思考にアプローチしようとしている。これに対し、このComtemporary Files は逆にリアルな視点に立って、そこから理想しか見ていない立場を批判するようなアプローチをしている。この両者に矛盾がないわけではない。この両者に矛盾が無ければ、世界はもっと単純で住みやすくなっているに違いない。
 どうも回りを見まわしてみても、理想を説く人は、理想しか見ていない。現実を解く人は現実しか見ていない。だから、どちらも現実を変える視点と方途を持たない。理想を現実化するためには、徹底した現実の分析と、それと理想との乖離を正確に見極め、その乖離を埋めて行くロードマップが必要なのだ。

☆ ☆ ☆

 先週のニュースで一番話題だったのは、米軍兵による沖縄での少女暴行事件の犯人引渡しをめぐる騒動だろう。
 どうしてさっさと引き渡さないのか訝しがる人も多いだろうし、それが「日米地位協定」に基づくものだという話にも納得できない人も多いだろう。人情としては確かにそうだ。「ヒドい奴は早くとっ捕まえろ」という気持ちは充分に理解できる。が、「ヒドい奴」かどうかは、起訴されて刑が確定しない限り不明なままで、それまでは無罪であるという原則(建前)が貫かれるべきである。「人権」を守るということは、この手の「建前」を徹底して守るという一面があることを無視してはならないと思う。間違わないでほしい。決して「人権など建前だ」と言っているのではない。例えそれがどんな人間であろうとも、一方的に不利な立場に追い込まれないように採り得る全ての手続きを踏み、採り得る手段をすべて講じてみる権利はあるし、それを保障する義務が当局側にはある。それを守って見せることで「人権」や「民主主義」を守る第一歩が確保される。

 いいかい、その時の気分だけで人権を守ったり守らなかったりするほうが、よっぽど人権を侵害し抑圧する危険が高いんだ。時と場合によっては情状酌量してルールを破ってもいい…のではなくて、そんなことをしなくてもいいように適宜ルールのほうを変えて行くという姿勢のほうが望ましいのではないのか?


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Updated : 2001/07/09