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Title : Equality
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Contemporary Files #20010604
平等
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 在韓被爆者の郭貴勲さんが、日本滞在中は支払われた被爆者援護法に基づく健康管理手当が帰国したことを理由に打ち切られたことを不服として起こしていた訴訟について大阪地方裁判所は1日、原告の訴えを認め、在外被爆者への被爆者援護法の適用を認めた。被爆者援護法では広島・長崎の原爆被爆者であることが認定されれば、被爆者手帳が交付され医療費の支給がされるほか、症状によって特別手当や健康管理手当等が支払われることが定められており、適用対象を日本在住者に限定する規定はない。この被爆者援護法は被爆者医療法と被爆者特別措置法(原爆二法)をうけて1994年に制定されたもので、原爆二法について「適用を日本在住者に限る」という厚生省(当時)の局長通達が出されており、これまでこれにしたがって在外被爆者には支給されてこなかった。
 この判決に対する報道の扱いがあまり大きくないのが気になるが、ハンセン病訴訟と同様に国の人権感覚が問われている判決だ。この判決は地裁のものなのだから、国側としては控訴することは可能である。

しかし、高等裁判所(a high court)に訴えることを「控訴」、最高裁判所(the Supreme Court)に訴えることを「上告」というのだが、英語ではどっちも apeal で、どうしてわざわざ言いかえるのかなぁ、なんて思ってしまう。

が、控訴するということは、厚生労働省(旧厚生省)がこれまで採って来た方針が正しかったことを主張することになる。では国(この訴訟では大阪府も被告だが)はどうするのか。

 結果としてこの裁判でも控訴しないのではないかという気がする。それ自体は悪くない。が、それをどういう理由で控訴しないかは問題にすべきであると思う。
 ハンセン氏病訴訟で控訴しなかったからこの判決も、というのでは論拠に乏しい。そんなことでは国が被告になっている全ての訴訟で国が敗訴した場合に控訴(または上告)するなということに等しい。そういう裁判上の話ではなくて、法律とその運用のありかたをどういう基準でどういうふうに判断するのかを明示していくことが重要なのではないかと思うのだ。今回のように人権がかかわる問題では特に。
 まず被爆者援護法の制定が当然ながら「被爆者の援護」を目的とし、居住地に関する規定がないわけだから、条文のままなら在外者を排除する根拠はない。あるとすれば、在外者に対して確実に送金(及び受領の確認)する仕組みが確保できなくて、運用上そうせざるを得ないと判断された場合なのだろう。法律に明示的に書かれていないことに対して運用上何か問題が起きた際の対処策を通達で出すこと自体は妥当なことだとは言える(というかそうしないと運用できない)が、どういう判断で局長通達が出されたのかわからないというのがやっかいなのだ。
 つまり、被爆者を援護する範囲を国内居住者に限定するという判断を、厚生省(当時)の局長(誰だよ、おい。)が下したことになる。まあ、局長個人の判断ではなくて、その背景にはいろんな議論の過程があるのだろうが、そういう、国民(日本在住者というべきか)に影響を与える決定の過程とその結果がすぐには国民には見えないままになされるというのは概念的に許されることなのか?
 まあ、私は国家公務員じゃないので、この「通達」というシロモノがどういうときにどういう手順で作成されるのかはよくわからない。いつ、どういう通達が出されたのかについても、官報をまじめに読みつづけていたらわかるのかもしれないが、圧倒的大多数のフツーの国民にはフォローできる量ではない。(ん? それが官僚の狙いか。)
 国民としては、何か行政から不当なことをされて、その理由が「そういう決まりになっている」なんて言われたら、それがどう言う法律(条例)に基づくものであり、いつ発行されたなんという通達(この手の通達には特定できる番号があるはずだ)に基づくものなのかを聞きまくるしかないのか。

 それと、少し気になるのは、この先「人権」が「錦の御旗」になって、「人権」と名前がつくことに関して思考停止になることだ。国を相手取った訴訟なんてのはいっぱいあるんだろう(誰か専門の方、数えて教えてちょーだい)。で、その中の多くは、不当な扱いを受けている国民(日本在住者)の訴えなんだろう。でも、ひょっとしたら、中には言いがかり的なものもあるのかも知れない。
 「人権を守る」なんてのは反射神経みたいなもので、苦しんでいる人を見たときにどう感じて、どうやったらその苦しみから解放されるかを考え、どう対処するかって悩むことに尽きると思う。「人権」を金科玉条として思考停止すること、ではないと思う。逆だ。思考停止した対処ほど人権を蹂躙するものはないと思う。


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Updated : 2001/06/04