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来年度から採用される教科書の検定結果が発表され、「新しい教科書を作る会」(以下「作る会」と表記)の作成した中学社会科(歴史分野)の教科書が合格したことが大きく報道されている。正直なところ、(こう書くと「作る会」の肩を持っているかのように思われてしまうけれど)私は騒ぎすぎじゃないのかなぁと思う。ちょっと順を追って考えてみよう。
まず、特定の思想信条を持つ集団が教科書を作ろうとすることは許されないことか? これはNoだ。破防法の適用対象や公安の監視対象になるような組織であっても教科書を作れないことはない。作らせないという運動は、反民主主義的な運動になってしまう恐れがある。ある特定の思想信条に基づく教科書を広まらせたくないならば、それに対向し得る教科書を提示する−なければ作る−ことで対処すべきではないのか。
次に、現在の教育制度が国単位で行われている以上、、それが正しいかどうかはともかく、現時点ではそれが現実なのだから、国家がその国の歴史をどのように語ろうと、他国の干渉を許すべきでない。これは国という統治単位を認める限り、その正統性を何らかの方法で主張しなければならないからだ。
隣の国の(しかも民間企業の作った)教科書に文句をつけるのは、明らかに権限を逸脱している。そうではない。共通の歴史認識に立つために様々な準備作業を行ない、その上で共同で教科書を作成するプロジェクトを立ち上げるとか、もっと建設的な解決方法はあるはずだ。
「騒ぎすぎ」だと私が思うのは、上記のような(かなり)建前論ではなくて、周囲の現実からである。
さて。今回問題になっているのは中学生の歴史の教科書だが、これを読んでいるあなたに質問。
- あなたが中学生の時の歴史の教科書はどこの出版社でしたか?
- その教科書にはどのようなことが書かれていましたか?
- 今あなたが持っている歴史の知識のうち、教科書から得たのはどの程度ですか?
私の場合、1は大阪書籍、3は恐ろしく微々たるもの。2ははっきり思い出せない。
私の周囲の何人かに聞いてみたが、1・2は思い出せなくて、3は歴史小説とか、TV番組で見たと応える人がほとんどだ。はっきり言おう、歴史認識の確立に教科書なんて役に立ってないのだ。戦争責任の問題につらなる歴史認識の問題を解決する糸口は学校教育での教科書ではなくて、学校を出てしまった後の年代の人たちの間で通俗的に共有されてしまう歴史観へどう働きかけるかという仕組みのほうである。
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Updated : 2001/04/09
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