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Title : Europe
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Contemporary Files #20010319
「ヨーロッパ」を巡る闘い
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 今、コソボよりもその南のアルバニア国境のほうがきな臭い。
 ちょっとこのあたりの事情がややこしいので少し補足しておくと、現在、「旧ユーゴ(the former Yugoslavia)」と言うとチトー大統領がいた時代あたりから内戦で各共和国が独立して行く前のユーゴスラビア(正式には「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」)を指すことが多く、「ユーゴスラビア連邦共和国(Federal Republic of Yugoslavia)」と記した場合、スロベニア・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ等が独立した後のユーゴ(すなわちセルビアとモンテネグロ)を指す。さて「旧ユーゴ」を構成していた国にはもうひとつ「マケドニア」があり、1991年11月から独立を表明していたが、ギリシャから名称に関してクレームがついたため、「旧ユーゴスラビアマケドニア共和国(the former Yugoslav Republic of Macedonia)」で国連加盟が認められている(国連安保理決議第 817号)。したがって正確には旧ユーゴスラビアマケドニア共和国と表記すべきなのだが、とりあえず、ここでは「アルバニア」で通しておく。

 一昔前、「ユーゴ紛争」と呼ばれていた内戦のことを思い出してみよう。
 まず1991年6月、スロヴェニアとクロアチアが旧ユーゴ連邦からの独立を宣言。両国と連邦の間で紛争が勃発したが、スロヴェニア=連邦間の闘いはすぐに終結した(1992年独立)。一方、クロアチアの方は人口の5%がセルビア人であったため、クロアチア国内のセルビア人がクライナ・セルビア人共和国を宣言、旧ユーゴ連邦が支持したため、紛争が長引いた(1995年内戦終結)。
 次にボスニア共和国が1992年に独立を宣言したものの、クロアチア系住民とセルビア系住民とムスリム系住民との間で主張がかみ合わず、内戦状態となった。これもなんとか1995年に停戦に漕ぎつけた。

 …見事に北から順番に紛争が起こっている。昨年までコソボでもめていたのが一段落したと思えば、今度はその南のマケドニアである。
 紛争の中核には常にセルビア人がいるわけだが、もうひとつ、キーがあるように思う。それは「バルカン半島のどこまでが『ヨーロッパ』か」ということだ。すなわち、NATOが介入するのかしないか。付くとすればどちらのサイドなのか。これまで、基本的に北側(つまりNATO諸国から近い側)に荷担していたのではないか?


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Updated : 2001/03/19