Location : Home > Contemporary Files > 2001 Title : What you should protect |
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これから書くことは、MLで書いたことなんだが、我ながらなかなかの出来だなァと思うのでこちらにも転記しておく。
今週、日本ではハワイ沖での練習船「えひめ丸」と米国原潜との衝突事故の話題とこの事態に対する森首相の対応に非難が集中していますが、(首相の対応は論外として)その非難のポイント自体も的外れのような気がしています。
決定的に欠けているのは、(どういう経緯でその立場になったのかはともかく)、自分の置かれている立場で守るべきものは何なのかということに対する自覚ではないかと思うのです。それが追求されるべきです。
まあ、現在、国に何かしてもらおうと期待している日本国民も少ないだろうなとも思いますが、それでも、何か起こった(特に国民の生命や財産が危険にさらされた)時、断固として守る姿勢を見せることが、国と国民の間のぎりぎりの信頼関係を確保するものではないかと思うのです。
森首相がパターを投げ出して官邸に戻ったところで、現実に採り得た方策というのは限られていただろうし、実際何もできなかっただろうなとは思いますが、それでも、守るべきものを守る姿勢を見せる(せめて「見せてくれる」)必要があったのです。
安全保障とは、国を守ることではなく国民の生命を守ることなのだということを、そしてその責務が自分にあるということを決定的に忘れている。非難されるべきはその点であって、ゴルフ場にいたことなどではありません。
国に国民を守る意志がないことが露呈したのであれば、国民は国を倒してもかまわない。なぜならそのための代議制度であり、権限委譲を選挙を通じて行っているからです。
おそらく人間が最も強くなれるのは守るべきものを守るときであって、逆にそのような時に守らない姿勢を採れば、回復しようがないほど信頼を損ねてしまいます。
例えば「母は強し」と言われるのは、子どもを守ろうとするからだ。(昨今ではそれもアヤシイ?)
逆に「国を守る」という意識に凝り固まってしまうのも困ったものだが、それはそれなりに、やはり「強い」ものであったのは認めざるを得ないだろう。
守るべきものを持つ者は強いのだ。
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Updated : 2001/02/19
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