Location : Home > Contemporary Files > 2000 Title : Can't we share the same sky ? |
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不倶戴天−ともに天をいただかず−とは儒教の四書五経の1つ「礼記」の曲礼上に出てくる、「父之讎、弗与共戴天」(父のあだ、共に天を戴くことなし)から出た言葉で、同じ空の下には共に存在し得ない、殺すか殺されるかの間柄であることを指す。
現在のパレスチナとイスラエルの関係はまさにこの状態だ。
いくら双方のトップ同士が停戦に合意しても、現実にそこに住む人、そして肉親を殺された人たちの感情としては、決して許すことはできないだろう。先日見たニュースの中で、ゲリラ(と思われる)の1人が、「平和などいらない。死んだヤツは帰ってこないのだから。」と言っていたのはプレス向けの強気の発言と言うこともあるだろうが、事実と正直な感覚の一面ではある。
☆ ☆ ☆
例えば、薔薇組と百合組がシマをめぐって抗争を起こしていたとしよう。血を血で洗う戦いのため、双方に大きな犠牲が出ていてどちらも「そろそろやめてーなぁ」とは思ってるんだけど、先に言い出したんじゃぁメンツがたたねぇ。で、泥沼にはまっているとする。そんな抗争にケリがつくのは次の2通り。
1は誰も止めなくてとことんやりあってしまうこと。でも普通はこうはならない。たいていは大親分が「そろそろやめねぇか。」と出てきて、「大親分がそうおっしゃるんじゃしかたあるめぇ」と双方のメンツを守るかたちで事態が収拾されます。薔薇組と百合組が共に月組系であれば、月組長がお出ましになるだろうし、薔薇組が月組系で、百合組が星組系であった場合には、月組・星組双方の両大親分が会談して手締めをする。
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・・何の話かって?
冷戦時代の紛争解決の枠組のプロセスの話。大親分がアメリカとソ連であり、その下っ端は衛星国というわけだ。大親分同士がやりあうと、全体が破滅することがわかっているんで決して衝突しない。でも子分同士はときおり小競合いをする。でも適当なところで止めに入る。子分はそれで救われるし親分の存在感も大きくなる。そんな時代が長く続いてた。
でも大親分の一方が老衰のため死んでしまったら、小競合いを止めに入る「顔役」がいなくなってあちこちでの紛争を止めることができなくなる。困った大親分のもう一方は自分1人が責任を追うのがいやなもんだから、「みんなで解決しようね☆」などと言い出し始めた。それが今の世界の状況。
仲裁にはいって成功するためには、双方から、「この人に言われたんじゃしょうがない」と納得されることが必要。でも、合衆国も国連もその信頼を勝ち得ていない。
この状況下で起っていることは、双方が「向こうがあんなことをしたのにこっちが黙ってたら面子丸つぶれだ」と思って攻撃を止めないということ。
では、どうすればいいのか。
ずっと考えているのだが、紛争を徹底して局所化すること以上の案が思い浮かばない。。
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Updated : 2000/10/23
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