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Title : Is confession possible?
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Contemporary Files #20000807
許す側と許される側の論理
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 ずっと、戦争責任の問題については考えてきていて、いろんな立場の本を読んでいるのだが、自分の中でどう結論を出せばいいのかわからないことがいくつかある。
 そのうちの1つが、「懺悔は可能か?」ということである。

 「懺悔」という言葉が宗教的であるので違和感があるのなら別の言葉で言い換えてもかまわないが、要するに、犯した罪はそもそも許される(贖われる)ものなのか、許される(贖われる)とすればそれはどのような方法なのかということだ。
 例えば私が何らかの罪を犯したとしよう。そしてそれを悔い、被害者及びその関係者に心から詫びたとしよう。そうすれば「許される」のか? ということだ。関係者が「許す」といったところで、罪を犯したという事実がなくなる(なかったことにできる)わけではない。よく言われることだが、仮に殺人を犯したとして極刑にされたとしても、被害者が生きかえってくるわけではない。殺人の場合は、その罪となった行為が行われる前の状態に戻すことは不可能である。いや、殺人でなくても、全く同じ状態にすることなど不可能だ。「許す」とは被害者(及びその関係者)が気の済むように加害者を処罰すること、ではない。加害者が謝ることではない。その行為が行われる前の状態に戻すことでもない。ならば、「許す」とはどういうことなのか? 「許される」ためには何をすればよいのか?

 これが戦争責任の話になると、別の要素が加わる。
 例えば、私は戦争に参加していないわけだから、「おまえ、戦争の責任をとれ。」と言われても、「どうして私が?」ということになる。私の祖父は出征したそうだから「おまえの祖父の行為の責任をとれ。」と言われても、実に困ってしまうのだ。自分が制御し得ない行為の結果に関しては、どうがんばっても責任のとりようがないのだ。ある行為が行われたとき、その行為が行われた場(もしくはその行為をもたらした直接的原因を決定した場)に居合わせなかった人間には、道徳的責任は発生し得ないのではないか。先祖の犯した罪を常に心に刻み、忘れず引き受けることの重要性を指摘する人は多い。もちろん、人間の為した残酷な愚行を風化させず、常に反省の材料とすることは大事なことである。しかしこれを責任の追及の根拠とした場合、いつまで経っても罪は許されないことになるのだ。
 人道に対する罪がいつまでも許されるべきでないのだとしたら、日本は第2次世界大戦時だけでなく、日清・日露の両戦争はおろか、秀吉の朝鮮侵攻、白村江の戦いといった対外的な戦争の被害を償わねばならなくなる。それだけではない。それぞれの時代の中央政府による地方勢力の制圧−江戸幕府による琉球征服・アイヌ制圧、歴代「征夷」大将軍による「東夷」の征伐、神武天皇による「東征」−によって行われた残虐な行為に対しても、その罪を問うべきである。すくなくとも論理的にはそうである。ところが現実にはそうではない。被害者が生きているか、少なくともその行為の関係者が生存している範囲に限られているのではないか。…ということは、人道に対する罪はいつかは許されるべきなのか? しかし、これでは「人道に対する罪」という理念に反するような気がする。

 それから、この文章を実際に書いているのは8月6日、ヒロシマ原爆の日である。ヒロシマ・ナガサキに関して言えば、日本は間違いなく被害者である。他国の軍隊による民間人に対する大量虐殺である。ところが、一部でこれを糾弾する動きはあるものの、合衆国に責任をとらせようという動きはさほど大きくはない。これは一体どういうことなのか?

 もし、この世の残虐行為の全てが、どれほど「懺悔」しても許されないものであるのだとしたら、誰がいつ、どのような立場で許しを乞おうと、絶対に許されてはならない。未来永劫、加害者の係累は被害者の係累に謝罪し、許しを請いつづけなければならない。逆に、被害者の係累は、加害者の係累に、その責任を問いつづけなければならない。相手や時代性によって、(被害者に関する)人間の尊厳に差がないと認めるならばそうでなければならない。

 そこで最初の問い−「懺悔」は可能か?−になるわけだ。

 ところが、現実にはそれでは対立と緊張が持続するだけで、根本的な解決を生まないどころか、新たな悲劇を生む危険すらはらむ。とすれば、どこかで「許し」が発生し、ある種の妥協を行わないと、現実世界で安心して生活していけない。

 罪を問うのは簡単だ。
 でも、それをどうすれば許すことが出来るのかという出口を用意しておかない限り、非常に殺伐とした状況しか展開されなくなるように思う。


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Updated : 2000/08/07