修二会

 東大寺は約1200年余の歴史を誇る、盧舎那仏(大仏)を本尊として有名であるが、もう一つ厳しい面の顔を持っている。

東大寺二月堂修二会(しゅにえ)
 この行法は東大寺の二月堂の本尊、十一面観音に、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、代苦者、すなわち一般の人々に代わって苦行を引き受ける者となり、苦行を実践し、国家安泰等を祈る祈願法要です。
 俗にお水取りとよばれ、今年(1999)で1248回目となり、開行以来一度も欠かされたことがない行法「不退の行法」です。
この行法は、もともとは旧暦の2月1日から2月14日まで行われていた行事で、2月に修する法会として「修二会」といいます。現在は太陽暦を採用して、3月1日から3月14日まで二月堂で行なわれている。

由来
 天平勝宝3年10月東大寺、実忠(じっちゅう)という僧侶が奈良の東、笠置の山中竜穴の奥で、菩薩たちが行っていた有り難い行法を拝観して、これを地上にうつそうとして二月堂を建てて、始められたのが始まりで諸々の天衆が行ってきたことを人間界でもやりたいと神に頼んだ、しかし天上界の一昼夜は人間界では400年に相当すると言われ断わられた。そういうことならせんべんの行堂を走ることによって時間を縮めるということにして許しを得た。

準備
 お水取りには11人のお坊さんが出任する。この11人のお坊さまを「練行衆」いう。
12月、良弁僧正を祭る開山堂でお水取りに参篭する、練行衆11名が発表される。

 二月堂修二会別火坊、ここに練行の準備や練習をするために入る。日常使っている一切の火と別れるためこの名がついた。
 修二会の行法にはじめて参篭するものを新入といい、新人と新大導師(初めて大導師を勤める僧侶)は他の練行衆よりも5日はやく、2月15日より参篭する。2月末までの期間は戒壇院において試別火・総別火という本行までの準備期間にあてられ、すべて暗記で行なわれる声明や所作の練習期間にあてられる。

 2月18日、二月堂南出仕口にて修二会の灯明に使う油量りを行う。量は昔ながらの東大寺升で量られる。この頃より準備に忙しくなってくる。箒作りやしめ縄作りである。

 別火が始まると荷物が運び込まれ御祓いをして身を清める。

 別火前半は 試別火、後半は総別火がしめ縄で結界を張り行われる。

 別火は本行に備えての精進、内陣の掃除、御輿を洗い清める。

 一つ一つ厳粛な準備が続く。

 練行の無事を祈り縁のある諸堂を巡拝する。この後試みの湯で心身を清める。
しめ縄を張り結界を張り清浄を保つ。

 おびただしい準備で、作り物や修理を参篭の僧侶総出をあげて作業に専念する。

 差懸の修理、内陣で履く修二会独特の履物である。

 椿の造花、南天の生け花、紙衣、法要に使う灯芯を作る。数少ない華やかな作業である。

 灯芯そろえ、行で用いる灯芯を揃え分ける。

 お供え物の餅をつくる、1230面も作るので大仕事である。

 総別火に入ると一般の立ち入りは禁止、しゃべることも禁止される。その日から土踏まずといい別火から出ることも許されない(地上におりてはいけない)。各々一層の精進に励む。厳しい規律のなかで修二会にそなえ最後の磨きをかける。

 貝の吹き合わせ
 ほら貝の稽古である。

てしまの縁断ち(へりたち)
 中世以来の修二会独特の別火坊と別れるしきたり。
 追い出し茶を飲み別火坊を出て、14日間の二月堂での修二会の本行に向かう。

 深夜2時、今まで使っていた火はすべて消し、火打ち石で浄火を灯す。お松明の火種となりこれを一年間大切に使っていく。
一徳火と言う。

3月1日〜14日「二月堂 修二会 お水取り行法」

大中臣の祓(おおなかとみのはらい)
 本行の始まる前日の夕刻行われる。俗に天狗寄せとよばれている。 天狗寄せには昔、毎年修二会の始まる頃から天狗が現われ嵐を起こし法事の邪魔をしたので、天狗達を集めて祓い清めたという伝説をもっている。

授戒(じゅかい)
 修二会期間中の作法や戒めを確認し破らないように戒める。

食堂作法(じきどうさほう)
 食事は1日1食しか正式には食事ができない。一汁一菜で皆のための祈りを捧げつつ無言で食事をする。食事を終えた練行衆は食堂退出の際、懐紙に包んだご飯を向かいの若狭井の屋根に投げ、生飯(さば)として鳥たちに分け与えられる。昼ご飯をとると、一日の行が終わるまで水一滴すら飲めない。

開白法要(かいびゃくほうよう)
1日を六回に分け、この六つの時間に合わせて法要をする。
これを六時の行法と言い、六時の行法のうち、その年の一番始めに行われる日中の行(3/1早朝)のことを
特に「日中開白(にっちゅうかいはく)」といいます。
・昼間の「日中」  (にっちゅう)
・夕方の「日没」  (にちもつ)
・夜の初めの「初夜」(しょや)
・真中の夜の「半夜」(はんや)
・夜の終りの「後夜」(ごや)
・夜明けの「晨朝」 (じんじょう)
これを3月1日〜14日まで毎日繰り返し行う。六時の作法ともよばれる。

三度の案内
 ちょろ松明を掲げ、参篭宿所と二月堂の階段を三度駆け上がり、駆け降りる。

 一度目、時刻を聞きに上がる。
 二度目、練行衆が上がっていくことを予告をする。
 三度目、練行衆が上がっていくことを知らせる。

初夜上堂の時、大松明は毎日10本ずつ上げられる。(3/12は11本)
これは14日間(3/1〜3/14)は毎日続けられる。

走りの行法
 天上界の一昼夜は娑婆界の四百年にあたるといわれ走らねば追い付けない仏の世界に身を持って体当りする難行苦行である。

咒師作法
 心身を清め行法にはげむ場は清らかでなければならない。よって悪魔や鬼神の侵入をふせぐ行法である。

小観音(こがんのん練行)出御
 修二会の本殿の観音御輿を迎える作法。安置され香炉、灯明、餅等が供えられる。

3月12日 お水取り本番

 昔、実忠和尚が十一面悔過法要中に、全国の神の名前を唱えて勧請した時、若狭の国の遠敷明神(おにうみょうじん)だけが、遠敷川で魚をとっていたために勧請に遅れたので、その責任をとって明神が、「遠敷川から水を送る」と言った。すると、若狭井戸のところから二羽の黒白の鵜が飛び立ち、そこから霊水、閼伽井水が湧き出たという。
「お水取り」の名称は、3月12日の真夜中、すなわち13日の早朝、三時頃に行なわれる行事に由来する。二月堂下の閼伽井屋(若狭井戸)から本尊にお供えする香水を汲み上げるための行法を「お水取り」という。伝説では、この日にしか、お水が湧いてこないことになっている。

 この日汲み上げられた香水は、翌日須弥壇の下にある香水壺に移される。この香水壺というのは、千有余年の間、毎回補充される根本香水の壷と、それから去年とか一昨年に汲み上げられた香水を入れてある香水壺というのがある。東大寺のお水取りの行法は、一度も欠かされたことがない行法「不退の行法」であり、根本香水というのは、千二百何年前からのお香水が入った壺ということになる。その根本香水を少し、新しい香水壺にわけ入れる。何万分の一かは、その根本香水が、新しいお香水の中にも入ることになり、その新しい香水も千何年前からのお香水の要素の入った香水となる。また毎年毎年少しづつ、その年の香水を注ぎ足し注ぎ足しの繰り返しで出来たのが、その根本香水である。

 朝早くより多くの信者や群衆であふれ後は映像を観ていただければ分かる様に11本のお松明が次々と上堂、二月堂の欄干に集まった群衆に火の粉を浴びせかける。天をも焦がす勢いの大松明に歓声だけが夜空に響く最も華やかなシーンである。

 修二会も豪華な”お松明”と神秘的な”お水取り”でクライマックスに達する。篭松明はお水取りの主役であり、水の祭りでもあり、火の祭りでもある。

 この篭松明は童子たちによりかなりの時間をかけて作られる。 松の木をつるでしっかりしばりその上に杉の葉をかぶせ、最後に桧の薄い板で篭目に編み花のように仕上げる。

 午前2時、本尊十一面観音に供える香水(こうずい)を汲みあげる。香水は供えられるだけでなく信者にも配られ一年間信仰の水として使われる。

 一ヵ月余りにわたり続けられていた修二会も終わり朝から大涅槃画像をかけ最後の法要をすませる。全24日間世界平和を祈ったわけである。

 この日は達陀(だったん)の妙法で使われていた帽子を子供にかぶせてもらうと病気もせず、健康に育つと伝えられているのでお母さん達が子供を連れてあつまる。

 大仏は国家の安泰を願い、二月堂の十一面観音は民衆とつながる。練行衆はその仲立ちのため死に物狂いで行法に精進する。それが不退の行である。

 二月堂のお水取りが終わると桜の咲く春がやってくる。

*このページの写真は「奈良市文化財資料課」提供のものを使わせて頂きました。
*このページの文章は「東大寺」提供のものを参照させて頂きました。


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