第三章□受戒入位□次には深く仏法僧の三宝を敬い奉るべし、生を易え身を易え
ても三宝を供養し敬い奉らんことを願うべし、西天東土仏祖正伝する所は恭敬仏
法僧なり。若し薄福少徳の衆生は三宝の名字猶お聞き奉らざるなり、何に況や帰
依し奉ることを得んや、徒らに所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し、或は外道の制
多に帰依すること勿れ、彼は其帰依に因りて衆苦を解脱すること無し、早く仏法
僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脱するのみに非ず菩提を成就すべし。其帰依
三宝とは正に浄信を専らにして、或は如来現在世にもあれ、或は如来滅後にもあ
れ、合掌し低頭して口に唱えて云く、南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧、仏
は是れ大師なるが故に帰依す、法は良薬なるが故に帰依す、僧は勝友なるが故に
帰依す、仏弟子となること必ず三帰に依る、何れの戒を受くるも必ず三帰を受け
て其後諸戒を受くるなり、然あれば即ち三帰に依りて得戒あるなり。此帰依仏法
僧の功徳、必ず感応道交するとき成就するなり、設い天上人間地獄鬼畜なりと雖
も、感応道交すれば必ず帰依し奉るなり、已に帰依し奉るが如きは生生世世在在
処処に増長し、必ず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり、知るべし
三帰の功徳其最尊最上甚深不可思議なりということ、世尊已に証明しまします、
衆生当に信受すべし。次には応に三聚浄戒を受け奉るべし、第一摂律儀戒、第二
摂善法戒、第三摂衆生戒なり、次には応に十重禁戒を受け奉るべし、第一不殺生
戒、第二不偸盗戒、第三不邪淫戒、第四不妄語戒、第五不こ酒戒、第六不説過戒、
第七不自讃毀他戒、第八不慳法財戒、第九不瞋恚戒、第十不謗三宝戒なり、上来
三帰、三聚浄戒、十重禁戒、是れ諸仏の受持したまうところなり。受戒するが如
きは、三世の諸仏の所証なる阿耨多羅三藐三菩提金剛不壊の仏果を証するなり、
誰の智人か欣求せざらん、世尊明らかに一切衆生の為に示しまします、衆生仏戒
を受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子な
りと。諸仏の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず、群生の長えに此
中に使用する、各各の知覚に方面露れず、是時十方法界の土地草木牆壁瓦礫皆仏
事を作すを以て、其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の仏化に冥資
せられて親き悟を顕わす、是を無為の功徳とす、是を無作の功徳とす、是れ発菩
提心なり。第四章□発願利生□菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前に一
切衆生を度さんと発願し営むなり、設い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或は
天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早
く自未得度先度佗の心を発すべし。其形陋しというとも、此心を発せば、已に一
切衆生の導師なり、衆生の慈父なり、男女を論ずること勿れ、此れ仏道極妙の法
則なり。若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も、其輪転の因縁皆菩提
の行願となるなり、然あれば従来の光陰は設い空しく過すというとも、今生の未
だ過ぎざる際だに急ぎて発願すべし、設い仏に成るべき功徳熟して円満すべしと
いうとも、尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、或は無量劫行いて衆生
を先に度して自は終に仏に成らず、但し衆生を度し衆生を利益するもあり。衆生
を利益すというは四枚の般若あり、一者布施、二者愛語、三者利行、四者同時、
是れ即ち薩捶の行願なり、其布施というは貪らざるなり、我物に非ざれども布施
を障えざる道理あり、其物の軽きを嫌わず、其功の実なるべきなり、然あれば即
ち一句一偈の法をも布施すべし、此生佗生の善種となる、一銭一草の財をも布施
すべし、此世佗世の善根を兆す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝
を貪らず、自からが力を頒つなり、舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産
業固より布施に非ざること無し。愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を
発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語
なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし、怨敵を降伏し、君子を和睦ならし
むること愛語を根本とするなり、面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しく
す、面わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学
すべきなり。利行というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧を廻らすなり、窮亀を
見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単えに利行に催おさるるなり、愚人謂
わくは利佗を先とせば自からが利省れぬべしと、爾には非ざるなり、利行は一法
なり、普ねく自佗を利するなり。同時というは不違なり、自にも不違なり、佗に
も不違なり、譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、佗をして自に同ぜしめて
後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗は時に随うて無窮なり、海の水
を辞せざるは同時なり、是故に能く水聚りて海となるなり。大凡菩提心の行願に
は是の如くの道理静かに思唯すべし、卒爾にすること勿れ、済度摂受に一切衆生
皆化を被ぶらん功徳を礼拝恭敬すべし。第五章□行持報恩□此発菩提心、多くは
南閻浮の人身に発心すべきなり、今是の如くの因縁あり、願生此娑婆国土し来れ
り、見釈迦牟尼仏を喜ばざらんや。静かに憶うべし、正法世に流布せざらん時は
身命を正法の為に抛捨せんことを願うとも値うべからず、正法に逢う今日の吾等
を願うべし、見ずや、仏の言わく、無上菩提を演説する師に値わんには、種姓を
観ずること莫れ、容顔をみること莫れ、非を嫌うこと莫れ、行を考うること莫れ
但般若を尊重するが故に、日日三時に礼拝し、恭敬して、更に患悩の心を生ぜし
むること莫れと。今の見仏聞法は仏祖面面の行持より来れる慈恩なり、仏祖若し
単伝せずば、奈何にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法の恩尚
お報謝すべし、況や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや、病雀尚お恩
を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず、余不の印能く報謝あり、
畜類尚お恩を報ず、人類争か恩を知らざらん。