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Title : The 21st century warns.
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21世紀は警告する

 15年ほど前NHK特集で『21世紀は警告する』というシリーズがあった。
 私はこのシリーズを見たことで、いわゆる「地球的問題群」の存在とその概要を知った。もしこのNHK特集を見ていなければ国際情勢にそれほど興味を持つこともなかったであろう。
 21世紀を目前にして、その番組で扱われていたテーマで20世紀を振りかえってみたい。

  1. 祖国喪失(2000/12/11)
  2. 国家が“破産”するとき(2000/12/18)
  3. 飢えか戦争か(2000/12/20)
  4. 都市の世紀末(2000/12/25)
  5. 石油文明の落日(2000/12/26)
  6. 砂漠か洪水か(2000/12/26)
  7. 小さな家族の大きな崩壊/電子社会の孤独(2000/12/27)
  8. 兵器の反乱/生命の黙示録(2000/12/30)

1.祖国喪失

 『21世紀は警告する』が放映されたのは昭和59年のことである。その時点ではまだ冷戦が続いており、ソ連が崩壊するなどとは誰も想像すらしなかった時代のことである。「祖国喪失」で扱われているのは、リトアニア人・ロシア革命時の亡命者・ポーランドから事実上追放された自主管理労組「連帯」の活動家・アルメニア人・2つに分かれたドイツ…少し隔世の感もある。
 しかし、冷戦が終焉して、それらの問題が片付いたわけではない。

 「祖国喪失」では、問題の本質として「革命」「民族」の2つのキーワードを掲げる。それら2つと交錯するキーワードが「国家」である。
 革命は異端者を生む。異端者を排除することが革命の過程である。理念の追求による革命の進展は「敵」を欲する。血を欲する。そして「神々は渇く」のだ。「民族」も同様である。「同じ」民族に属する者同士が集まろうとする。その際に異端者(つまり異民族)を排除しようとしてしまうのだ。両者とも、国家を形成しようとし、国家の持つ暴力装置を作動させ、本来なら穏当に暮らしているはずの人たちまでも強制的に、その暴力に巻き込んでしまうのだ。よく、「多民族国家」という言葉が用いられる。しかし、生活文化の共有という観点からは、「多国籍民族」という表現のほうが実態をよく表現しているのではないかと考えた時期もあった。いや、それは違うのだ。「国家」も「革命の理念」も人工的な概念だが、「民族」ですら「想像の共同体」であり、人工の概念である。民族の概念が、一緒に住んでいる者同士を引き裂いたのだ。

 国家に帰属せよ、革命の理念に共鳴せよと強制されることにいかがわしさを感じる感受性があっても、そういうものから逃れるはずが、別の共同体−往々にして民族であるが−に帰属し、他者を排除してしまう構造が垣間見える。

 人間はどこかに帰属しなければ生きていけないのか?
 …おそらく答えはイエスだ。
 そうであるならば、その「寄る辺」は何か?

Date : 2000/12/11

2.国家が“破産”するとき

 国家が破産するなど、この番組を見たときはリアリティを持って理解することが出来なかった。しかし今では、もはや珍しいことではない。しかしその当時と今とでは大きく事情が異なる。

 1つめには、主に途上国が置かれている状況である。この番組が放映された当時は、国家の財政破綻というのは、外資を導入して大規模な公共事業を実施したにもかかわらず、思ったほどは成果が出ずIMF等からの債務が重なってしまい返却不可能(いわゆる「デフォルト」)になること、だ。もちろん今でもこの危機は続いているが、最近ではヘッジファンドなどによるグローバル・マネーの投機的動きによって通貨価値が急激に変動したり、あまりにも自国通貨(の外国為替市場での価値)が低くて外貨を集めることが非常に困難になって、事実上返せなくなるというような事態も頻発している。
 紙幣なんて国家が「印刷」してるんだから、バンバン刷ればいいじゃないかというと、そんなことしたら、国際的にはそれだけ価値を下げることになるし、下手するとハイパーインフレを起こしてしまう。(う〜ん、クルーグマン氏あたりのインフレターゲット論者は違うことを言うかも知れない。)

 それともうひとつは、先進国が置かれている状況である。日本もそうだ。ずばり、国債発行残高の巨額化である。

 実は世界のどこにも、破産の危険がない国はないのかも知れない。

Date : 2000/12/18

3.飢えか戦争か

 本文中で引用されている、旧西ドイツの元首相 ヴィリー・ブラント氏の言葉がこのテーマの全てを物語る。

むかしは、戦争が飢えを生み出したが、いまは、飢えが戦争を生み出す。

 これにはいくつかの要素がある。
 1つは食の偏在。その背景にある富の偏在。
 1つは文化の欧米化により、肉食が急速に高まり、家畜に穀物を回してしまうという、食糧生産上、非効率的な方法を促進してしまっていること。
 1つは、貧しい国に限って人口爆発が起こって、それに追いつく食糧生産を行おうと農業を無理矢理行うことで土地がやせてしまうという状況。

 砂漠化や土壌流出をもたらす土壌の貧弱化は、人口爆発に遠因がある。そして、人口爆発の背景には、先進諸国が途上国に対し保健衛生を強化し、死亡率を下げたことに理由の一つがある。
 乾燥した草原地帯で放牧などをして暮らしていた人たちに井戸を与え、農業を教え、定住を勧め、しかも、保健衛生状態を改善して(特に乳児の)死亡率が下がった場合、その人口を養うために、飼育する家畜の数が増え、しかも定住しているので、人間の住む周囲の牧草が徹底的に食べ尽くされ、土壌に養分や水分を蓄える役割をする植物の根を文字通り「根絶」してしまい、それゆえに土壌が貧弱になり、砂漠化や土壌流出に結びつくというわけだ。(もちろんそれだけが原因ではないが。)
 そしてそのような土地では当然ながら生産性は低く、貧しい生活から脱却できない。
 しかし、そのような生活を続けるとさらに周囲の環境を破壊し、土地を貧弱化させていくという悪循環が続く。

Date : 2000/12/20

4.都市の世紀末

 ここで扱われているのは、特に発展途上国の大都市周辺にできているスラムの問題である。
 人が都市に集まるのは、そこに魅力があるからだ。…これは同語反復か。いや、実にそうなのだ。人が集まるのは人が集まるからなのだ。人が集まるからビジネスの機会が増える。そうするとそういう人たちに提供するサービスも増え、そのサービスを提供する人も増える。特に、その国の「地方」に就業機会があまりなく、貧富の差が大きいほど、都会に流入しようとする人口圧力は高くなる。しかし、都会という人工的な場所であれ、人間が生活しているのだから、それなりの生活文化というか風習というか、暗黙のルールというものがある。そこに大量にそのルールを知らない者たちが流入し、自分たちの生活風習で行動された場合、混乱が生じて、場合によっては衝突が起こる。そこで、強制的に都会に勝手に流入しないようにする場合がある。そうして都会に入れないまま周辺部に固まって生活をするブロックができてしまう。これがスラムだ。

 「国土の均衡ある発展」…とは、日本がこれまで何度かの全国総合国土開発計画で謳って来た文句ではあるが、やはり、ある程度必要なことはある。
 しかし、経済発展を急務とする国にあって、万人が少しずつ豊かになるようにすることと、その恩恵を享受できる人が偏ってでも成長率を上げることとでは、後者のほうが簡単なのだ。

Date : 2000/12/25

5.石油文明の落日

 私は自動車の免許を持っていない。
 親も免許を持っていなかったので、車がなくてもなんとかなる生活が成り立っているからだ。
 男の子なら普通、小さい頃に、ミニカーなどに夢中になる時期があるものだが、私にはなかった。
 高校生くらいになったら、バイクに興味を持つのが普通なのかも知れないが、何とも思わなかった。
 大学生になったら、まず免許を取るものなのだろうが、別段、ほしいとも思わなかった。あったら便利だろうというのはわかるのだが、苦労してまでとらなきゃならないという切迫感がないし、どうしてもほしいという憧れもない。
 だから私は、現在の自動車文明を、本質的に冷ややかな目で見てしまう。

 あまり多くの人は気づいていないが、社会の多くの要素が、自動車があることを前提に作られている。世の中にたえて車のなかりせば、この世の景色はのどけからまし、だろう。たとえば道路を舗装しなければならないのは何のためか。信号も歩道橋も自動車保険も、あ、そもそも自動車産業も。そしてこの関連産業は極めて広い。忘れてはならないのはガソリンだ。石油製品のなかに占めるガソリンの割合は大きい。車も、そしてそれを動かすガソリンも文明の動脈となっている。…ならば、それらか枯渇したらどうなるのだ?

Date : 2000/12/26

6.砂漠か洪水か

 砂漠化するとは、水がなくなること。
 洪水とは、水がありすぎること。
 一見すると全く逆の現象なのだが、この2つは隣り合わせの問題なのだ。

 文明とは、緑を砂漠に変える装置である、とは誰か言ったのか知らないが、至言である。この問題は、3章の「飢えか戦争か」で書いたことと多いに関係がある。
 人間のあくなき欲望は、より多くの土地と資源を求めて深刻な森林破壊をももたらした。これが地域−いや地球全体の−保水力を弱める。少しの雨でも、抱えきれずに平地に流してしまい、洪水となる。洪水によって流される土に養分をもって行かれた森林はより、生態系を弱体化させる。そしてより保水力が弱まる。一方で弱体化した森林は、樹木の密度が下がり、本来日のあたらない下層の草木にまで日を当て、土壌を乾燥させ、適度な湿り気を確保しにくくなり、枯れて行く。こうして森林が後退した分、渇いた土地が広がって行くのだ。

Date : 2000/12/26

7.小さな家族の大きな崩壊/電子社会の孤独

 ここでの話題は、人間の崩壊である。
 1つは、人を癒すための家族が、逆に人を苦しめるという悲劇。
 1つは、人を助けるための道具であるコンピュータに、逆に従属を強いられる苦悩。

 個人の自立を強調することは、1人1人が自由を主張するのは決して悪くないはずだ。しかし、全ての人がそれを主張した場合−しかも生活を共にする者同士が行ったら衝突する。

 便利だからと何もかも道具に任せれば、それがないと、もはや何も出来なくなる。

 …そう、これらは、20世紀の特徴のひとつ、極端化の哀れな姿なのだ。

Date : 2000/12/27

8.兵器の反乱/生命の黙示録

 矛盾―これは、「私の扱っている矛はどんな盾をも貫くことができる」「私の扱っている盾はどんな矛をも防ぐことができる」と言っていた商人が、客に「じゃあ、お前の盾でお前の矛を貫いたらどうなるんだ」と尋ねられて返答に窮するという故事にならっているわけだが、武器の開発というのはどうも、この「矛盾」の故事とスレスレである。これまでに開発してしまった兵器からの攻撃を防ぐための兵器を開発する。そうすると次はその防備を無力化するような、さらに協力な兵器を開発する…この無限のスパイラルに陥っている。そして、ときおり、開発しすぎた兵器の「在庫処分」と新兵器の「実験」が地域紛争や内戦で行われる。「最終兵器」などない。ここにも、「道具」に、逆に従属を強いられる人類の姿が垣間見ることができる。

 自己閉塞へのロックイン。これが20世紀の本質ではなかったのか。

 そして、その人類の行動は、人間を地球という生命体の中で、異常繁殖するだけでなく、他の細胞にも悪影響を与える「ガン細胞」と化してしまったのではないか。。。。

Date : 2000/12/30

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Updated : 2000/12/30