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Title : Revolution is endless
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連続革命の系譜

 歴史上、幾度も「革命」が行われてきたが、それは悉く失敗してきた。その理由を考察する。

1:歴史の慣性

§1 革命は革命たるべく呪われている

 革命は革命たるべく呪われている。ちょうど人間が自由であるべく呪われているように。そして同等の大きさの力で反革命たるべく呪われている。

 私たちは「革命」と聞くと、歴史上たった一度のトピックとして(出来事として)考えてしまいがちだが、革命はその意義から言って絶えず革新的であらねばならないという点で動的過程である。それゆえ、革命の動的性質につきあい続けることに疲れたとき、革命は死に至る。民衆が無秩序のなかの自由より服従の下での秩序を望むとき、革命は失敗する。

 フランス革命を考えてみよう。
 バスティーユが陥落したのが1789年7月14日。そしてナポレオンの皇帝即位は1804年12月2日その間はたったの15年である。1792年の王政廃止から、ナポレオンが権力を奪取した「ブリュメール18日のクーデター」まで−革命の目的のはずだった封建制の廃止−に限るならわずかに7年である。そののちナポレオンが退位して共和制に戻るかといえばそうではなく、なんとルイ18世が即位してしまう。
 さらに1848年、2月革命で再び共和制になるものの4年後にはナポレオン3世が即位する。いったい何をしているのか………。

 「保守」と「革新」という言葉がある。いや、もう、「そういう言葉があった」と言うべきかも知れない。この言葉は、通常、「保守」=「権力を保持し続ける勢力/その姿勢」、「革新」=「保守に抵抗する勢力/姿勢」という意味で用いられることが多かった。じつはこの理解は大きな矛盾がある。本来「革新」勢力は、既存の権力を批判し、政権を奪うことを目的としていた。少なくとも建て前はそうであった。しかし上のような理解であると、権力をつかんだ側は常に「保守」にならざるを得なくなる。「革新」が「革新」であり続けることができるのは、権力を握る心配がなかったからなのだ。

日本の政治の哀しさは、「保守」政党のほうが「革新」政党よりもよっぽど「革新」的でダイナミックでしたたかだったことにある。

 もし「革新」を名乗るならば、自分の所属する団体が「革新」であることを主張するのではなく、自身が革新的であることを示さなければならない。
 革命家はその行為によって革命家となる。革命が革命であるためには、革命家は革命的な人間でなければならない。

 そう、革命は革命たるべく呪われているのである。

§2 「裏切られた革命」

 1940年8月20日、メキシコ。
 一人の男が、自分の秘書の恋人にピッケルを頭に打ち込まれた。瀕死の重傷を負って病院にかつぎこまれたが、手当の甲斐もなく、翌日に息を引き取った。彼の名をレフ・ダヴィドヴィッチ・ブロンシュタインという。しかし彼のペンネームのほうが有名であろう
−レオン・トロッキーである。

 彼はネガティブな印象をもたれがちであったが、最近再び脚光を浴び始めている。ソ連が崩壊し、それを支えていた共産主義とは何であったのかを分析するのに、彼の文献はかなり有効であるからだ。また、ソ連の建国の時点で既に、(ある一面で)「ペレストロイカ」の必然性を予見したこともある。

 いわゆるスターリン憲法が制定されたころ、『ソ連邦とは何か、そしてどこへいくのか』(邦題としては『裏切られた革命』)という本を執筆した。当時のソ連社会を分析し、次のように論じたのである。
−未だに社会主義は実現されておらず、矛盾を内包したままである。社会主義革命の目的であった国家の解体は着手されておらず、逆に官僚が大衆を支配しはじめている。この事態は、プロレタリアートの行う「官僚的絶対主義に対する補足的革命」によって報いを受けるだろう−と。

 ソ連社会の内包する危機についてはF.A.ハイエクなどが批判をしていたが、革命の当事者として戦い、その後に追放された人間としての言葉の重みがある。

 彼は暗殺される半年前に次のような遺書を書いている。

人生は美しい。未来の世代をして人生から一切の悪と、抑圧と、暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を楽しませよ。

 彼にしてみれば、革命によって一歩進んだはずの、輝かしい未来への道程がねじ曲げられて狂おしいまでに哀しかったに違いない。

 そう、革命は裏切られたのである。

 日本においても、同じ様な感慨をもったであろう人物がいる。
 幕末〜明治初期に活躍した木戸孝允(桂小五郎)である。彼は、政府内の確執から参議を辞任したころ(1876年)、しきりに「癸丑(きちゅう)以来」と言っていたという。「癸丑」とは「みずのとうし」の年(嘉永6年)、すなわち黒船が来航した年である。当時は幕府が本当に倒れるなどとは誰も予想しなかったに違いない。それでも多くの青年が命をかけて激動の時代を動かしていった。しかし、有能な者たちはどんどん志半ばで散っていき、どざくさにまぎれて生き残った連中が明治政府を牛耳ってしまっている。。。という嘆きなのだ。

 そう、革命は裏切られたのである。

§3 現実主義者による理想主義者の駆逐過程

 G.オーウェルの『動物農場』という作品をご存じだろうか。
 ある農場の動物たちが、人間の過酷な仕打ちに反乱を起こして飼い主(人間)を追放し、自主管理を始める。最初はうまくいくのだが、指導者層を形成する豚たちが意見対立を起こし、犬を攻撃部隊として備えた一派が他の一派を追放した後に独裁体制をしくという物語である。
 もちろんこれはソ連の歴史の批判・パロディである。最初の「飼い主(人間)」がロシア・ロマノフ王朝であり、「人間への反乱」はロシア革命である。「追い出す方の豚」がスターリンであり、「追い出された豚」がトロッキーである。そして「犬」はKGB(の前身)と思えばよいであろう。

指導者層が「豚」であり、その手先が「犬」であるのは、動物の世界の話であるにしても、実に見事な皮肉である。

 しかしこの寓話はロシア革命を戯画化したものだけにとどまらず、すべての革命の堕落過程をえぐり出していると言える。

 計画された革命とは、人間の理想追及の実現過程である。社会の望ましい在り方と現実とが乖離したときに、社会のほうを変革させようとする動きである。ところがいったん革命が成功し、軌道に乗り始め、新たな秩序が形成され始めるようになると、理想実現のために奔走した情熱的な革命家よりも、社会を運営する実務経験に長けた官僚が幅を利かせるようになってくる。これによって革命は陳腐化し、裏切られ、挫折する。歴史上の1つの出来事として死んでしまうのだ。

 これまでの革命は、理想主義者が現実主義者に駆逐されていく過程であった。

 それゆえにトロッキーは追放され、桂小五郎も西郷隆盛も下野せざるを得なくなったのだ。

§4 《歴史の慣性》

 革命の世代にとっては、たとえそれがどのような社会であれ、自分たちが選択し、構築した社会である。ところがその後の世代にとっては既にそこにある「あたりまえ」の社会でしかない。どんなに第1世代の人々が「俺たちはこんなに苦労して……」と語っても、次の世代の人間は歴史的事実としては認めることはできても、自分の言葉として語ることはできない。いつの間にか草創の息吹は失せ果ててしまい、そこから一切の腐食が始まる。こうしていかなる革命も、それが歴史上のトピックとして完結してしまった後では、現実の社会に息づくものではなくなってしまうのである。

 いかにして革命を永続させるのか。

 ここに腐食を防ぐカギがある。
 ところが絶えざる変化は人を不安にさせる。速すぎる未来の到着は混乱すら招く。不断の状況判断を頭脳に強いれば、処理能力は急激に低下する。すなわちいくばくかの判断保留を行わないと人間の頭脳はバーストを起こしてしまうであろう。例えばなぜ人間は一日に3度の食事を行うのかなどと毎日考えてその日の食事の回数を決定していくとどれほど疲れるかを考えてみればよい。
 ところがこれとは逆に、このような判断保留=ルーティン化が人間の思想や行動全体を覆うとき、人間は人間であることをやめ、ただただ目前の事態に機械的に反応する「パブロフの犬」になりさがってしまうであろう。そしてそのような人間が多数を占める社会はきわめて自主的な息吹に欠け、「民衆」はいなくなるだろう。個人の判断保留の蓄積が社会の「慣性」を生む。そして革命の前に立ちはだかる。
 革命とはこのような「慣性」との絶えざる永遠闘争なのである。

 革命はいかなるときに挫折するか。
 さまざまな議論が展開可能であるが、ここでは《歴史の慣性》が原因であると考えたい。《歴史の慣性》とは何か。一言でいえば、人間社会の、変化に対する硬直性である。人間の行動の選択の理由の中で最強のものはおそらく「今までそうだったから」であろう。絶えざる変化は人を不安にさせる。そのため、革命の引き起こす変化に必ずしもすべての民衆が対応できるわけではない。特に革命が一部のエリートによって強引に進められた場合、その不安、そして、何よりも「以前と変わらないじゃないか、いや、前より悪くなった」という不安が民衆の中に沸き起こり、反動が起きる。そして社会は根本的には変化しないままに動いていくのだ。

2:革命とは「狂気の沙汰」か?

§1 社会主義という巨大な実験

 人類の歴史が支配の歴史であるという意味のことを言った人間の中で最も有名なのはK.マルクスであろう。彼の理論の根幹部分は「人間疎外からの解放」であると言えよう。彼にしてみれば、資本主義体制に苦しめられている労働者たちを看過しておくことができなかったに違いない。彼は労働者たちの苦悩の原因が「生産力の売却」にあるとし、それを強制する(すなわち「労働者」としてしか社会に存在しえないという状況を生み出した)私的所有を否定したのである。その分析はどうやら間違っていたというのが昨今の議論であるが、それはとりあえずここでは措いておく。

 大衆が苦しんでいるとき、自分は何をなしうるか?

 マルクスはこの問いをとことん追及したのではないかとさえ、私には思える。
 もともとマルクス主義はとっても人間的なものだったのだ。しかし、時が経つに連れ、大衆には魅力のないもの、いや、最終的には人を抑圧するものとなってしまった。

 これはいったいどうしたことであろうか。。。。。

§2 革命はなぜ挫折するのか

 マルクスの思想は、基本的に人間の理性的存在を重視し、その革命的成熟を待つという極めて「楽観的」な思想である。ただし、ただ待っているのではなく、民衆を「啓蒙」していこうともしている。(それゆえ「革命」を掲げる集団は、自らを「前衛」と位置付ける。)

 ところが民衆は必ずしも革命を欲しているわけではない。

 革命はなぜ挫折するのか。それはこの一点にかかっている。それでも革命を押し進めようとするならば、それに耐えうる人間をつくる必要がある。

 日本で「革命」などと言うと、「アブナイ」というレッテルを貼られてしまいがちだ。それは血に飢えた暴力革命しか念頭にないからである。
 しかしおそらく、20世紀とともに、戦争や暴力革命が困難な事態を解決する時代は去ってしまうだろう。もはや革命は狂気の沙汰ではなくなるだろう。
 これから以降の歴史に残される革命とは、民衆の民衆による民衆のための革命として、永く人類の記憶に留められることになるような種類のものとなるであろう。

 私たちはその状況に直面しているような気がしてならない。

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Updated : 1999/08/02