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Title : Testament for future readers
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3.まだ見ぬ未来の読者たちへの覚え書き

 この章では、ネットワークの拡大・普及にともなう社会的な影響を「予言」してみました。「もうすぐ来るぞ」というよりは「今起こりつつある」事象ばかりであると私は感じています。「(少数の)技術と熱意を持った者たち」と「(多数の)旧体制の実力者・追随者」との間の《戦争》は、表現こそ過激だとは思いますが、既に始まっていますよね、あちこちで。
 書いてあることすべてが実現するかどうかはわかりませんが、今の世の中の風潮から言えばそれほど的外れではないでしょう。外れるとすれば、おそらく予想より早くネットワークが普及した場合です。

3.1 Standardization War

 今アメリカ合衆国政府が取り組んでいる最大のプロジェクトは何であるかご存知だろうか?
 NII? いやいや、これでも、HPCCに7億8400万ドル、情報スーパーハイウェー計画に2億7500万ドル、合わせてもたったの10億ドル(4年間)にすぎない。大騒ぎされているインターネット関係のプロジェクトをはるかに凌駕した、総投資額2440億ドル(20年間)にも上るプロジェクトが進行中なのである。
 それは新世代交通システムに関する研究に対する投資である。その中身はカーナビゲーションのシステムなのではあるが、今あるようなCD−ROM型のものではない。リアルタイムな経路誘導システムとその検索・表示システムである。自動車には Passive な表示システムを準備し、道路側から電波をとばし、情報を発信するのである。基本的なこのシステムを利用し、衝突防止レーダー・自動料金収受システムはおろか自動運転まで想定したシステムである。要するに道路をマルチメディア化しようという計画である。
 実は ISO においてこの次世代交通システムに関する国際標準を検討中であり、その内容に合衆国内での基準を多く採用させようと言う戦略なのだ。もし日本がその国際基準に対応を怠れば、日本の自動車が国外で忌避される危険性がある。そしてその国際標準は1996年、決定された。このようは国際標準化は日々進められている。
 産業における競争は完成品の普及率ではなく、規格をいかに押さえるかという点で行われる。いかに与えられた「土俵」で勝つかではなく、「勝てる土俵」を作ってしまってからそこで闘うと言う仕組みに移行しつつあるのだ。この傾向はコンピュータソフトの世界だけではない。

[今回のタネ本]
  • 「マルチメディア・クライシス」(徳山日出男);KKベストセラーズ

3.2 Pygmalion

 極めて優秀な彫刻家がいた。その名をピグマリオンという。彼の作品は極めてリアリティのあるものであり、今にも動き出しそうな彫像ばかりであった。そんな彼がある日女性の彫像を作った。例に漏れずその作品の女性は極めて美しく、まるで生きているように見えた。自分の作品を見ていたピグマリオンは、「彼女」が裸であることに気付き、衣服を持ってきて着せてあげたり、食べ物を持ってきたりしはじめた。あまりにいとおしく思い、夜は一緒に床につくまでになった。彼は自分の作った彫像と現実の女性の区別が付かなくなって恋してしまったのだ。ピグマリオンの狂おしい姿を見かねた神がその彫像を本物の女性にしてあげて一件落着、という話がギリシャ神話にある。

 現在の私たちはピグマリオンを嗤う事は出来ない。
 自分の知っていることのどこまでが事実であり、どこからが虚構であるのか、正確に認識できる自信が、あなたにあるだろうか?
 すべては「現実感」と呼ばれる意識の状態で安心しているだけではないのか?
 コンピュータとは世界をシミュレートする機械である。しかし以前はその箱のなかにとどまっていて、世界の事象のほんの一部分を擬装するだけであり、だれもが「これは虚構だ」と認識することが出来た。しかしVirtual Realityの洗礼を受けた現在、誰もがピグマリオンとなってしまった。
 例えばこの一連の文章は人間が書いていると信じている方がほとんどであろうが、それを証明するものは何もない。
 ひょっとしたらfelix@mahorobaなる文章自動作成マシンが勝手に投稿しているのかも。。。。

3.3 Poly-agent Society

 新しい智恵は生物学から来る−おそらくここ数十年はこう言い切ってもかまわない。人工知能研究でも「人工生命」だの「群知能」だのが騒がれているし、組織論でも「有機的組織論」とでも呼ぶべき議論が話題を呼んでいる。
 要するにこれらは、中央に巨大で複雑な制御システムをもって全体をコントロールする仕組みとは違い、個々の機能はそれほど優秀でもないのに全体として極めて合理的に機能するしくみに関する研究なのだ。
 現実もどうやらこちらの方向に向かっている。今、元気なのは大企業ではない。小回りの利く「やんちゃ」な企業群である。それらは決して大企業になることを目指さない。例えばイタリアのフィレンツェあたりのファッション関連の企業群は、注文がいっぱい来たら設備投資をして人を増やす・・・などということはせず、ライバルに仕事を回す。逆になったら立場が逆になって仕事を回してもらう。
 つまり自分が供給できるスキルを特化した個人なり集団がいくつかネットワークすることで、全体として機能させると言う仕組みである。全部のプロセスを一組織で抱えることはコスト的にも無駄なようだ。コアとなる個人または小組織、およびそれらの連携と言う図式−Poly-Agent Society−が今後の社会の主流となるであろう。
 おそらくここ5年ないし10年でこの傾向は定着していくに違いない。

[今回のタネ本]
  • 「マルチメディア時代の人間と社会」;日科技連
  • 「ネットワークリーダーシップ」;日科技連
  • 「なぜ日本は変われないのか」(大前研一+一新塾);ダイヤモンド社

3.4 "Pay Now!"

 Poly-Agent Society の到来は何を意味するか。特に企業に属する人間に何を要求するか。これは根拠となる背景は違うが、既によく]言われている。「ゼネラリストではなくスペシャリスト」になることである。
 いま「背景は違う」と書いた。経営者側に立てば、「何でもそこそこにできる社員」より「一芸に秀でた社員」の方が即戦力になり利益に結びつくからである。しかし現在の「若いときに貯めたプールによって中高齢になってから Pay Back される」賃金体系では優秀な社員は割に合わない。それならば現在の自分の価値を高く評価してくれる企業に移るべきである。付加価値の源泉は個人の創造力・情報処理能力に移行しつつある今、少数の稼ぎ手によって多数がいきる時代になりつつある。
 福利厚生が充実していることが企業の居心地をよくする指標とはなり得ない。モチベーションを高めるものとはなり得ない。そういう人々に必要なのは、自分の才能を十分に発揮でき、それが業績に結びつけることができる環境とその成果に対する正当な報酬である。もちろんこのことは自らを Brush Up し続ける努力を怠ったらそのことが直接に自分の報酬に跳ね返ってくる厳しい体制でもあるが。
 また、自分より優秀な人を評価することは出来ないのだから、評価される側は評価を与える側に対して、自分たちよりも優秀であることを示すように要求することは不遜なことではない。「能力主義」ならば。
 雇う側も雇われる側も、昨日と同じ今日が展開されると思いこみ明日への努力をなさない人間は駆逐されていくことであろう。

[今回のタネ本]
  • 「ビル・ゲイツが大統領になる日」(築地達郎);ウェッジ
  • 「日本企業復活の条件」(中谷巌);東洋経済新報社

3.5 The Sun & The North Wind

 慶応義塾大学の村井助教授は「インターネット」(いわゆる“村井の赤本”)のなかでこのようなことを言っている。

 我々は「北風と太陽」と言ってきました。「こういうものを使わないと困ったことになるぞ」と強迫観念を与えて物事を推進していこうというのは、いわば『イソップ物語』でいう「北風」です。そうではなくて、「こんなによいことが起こるのだ、こんなに有効なものなのだ」と、
まずコンピュータ・サイエンスの分野が成果を示し、そして他の分野を動かしてきたのです。

 恐らくこのことはインターネットを事実上支えている技術者の集団と、インターネットで何か「ひと暴れ」してやろうという野心と技術を持った人々については成立するであろう。しかし、誰かが何かをしてくれることを前提にしている人々に対して、何ができるのか、私は明快な解答をもたない。
 恐らくこれからの数年間は、価値を創造できる少数の人々と、それを食い物にする多数の人々、しかも「多数決」という権力を持った人々の闘いが展開されるに違いない。しかしそのうちに互いがその闘いが無駄なことに気付き、共存の方法を模索すると思われる。
 どの立場になるにせよ、情報リテラシーをどこまで高水準に持っていくことができるかが、重要なファクターとなる。学歴だの年功だの会社への忠誠心だのが問題にならない時代はもうすぐだ。

 知的武装せよ、諸君!

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Updated : 1996/04/30