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Title : Macintosh Legend
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2. Macintosh Lengend

 この章に書かれていることは、「コンピュータとは何であるか」という問いに対する私なりの解答です。
 もちろんいろんな言い方ができるのですが、コンピュータとは「人間の可能性を増幅するために世界をシミュレートする機能をもつ道具」と言えると思います。この文章の前半分はこの文章全体の根底にある発想なのである程度わかっていただけるとは思いますが、後ろ半分についてはもう少し解説が必要でしょう。
 たとえば「オブジェクト指向とは何か」と質問すると、オブジェクト言語の性質を延々と講義してしまいがちですが、私ならば「世界解釈の1つの立場」と答えるでしょう。それまでの言語ってコマンド=動詞が主になって、何をどうするのかを記述していくスタイルですが、オブジェクト言語では、「これ(対象=オブジェクト)をどうするか」ということが1セットになって(カプセル化され)記述するスタイルになっています。どっちの方法がより人間の認識作業にフィットするかは考えるまでもないでしょう。人間が何かをする際のプロセスを認識のスタイルに近づけたわけです。この考えをさらに展開していくと、次は「誰がしたいのか」を主に記述すると "Subject Oriented" でも言うべき視点が、さらには「(誰と)何をどのようにしたいのか」に主眼をおいた "Project Oriented" なる視点からなる言語/OS/アプリケーションが出現することでしょう。
 まあ、とはいうものの、実装するまでの技術力は私にはないので、それができる人を見つけてアイデアを売って Pay Back してもらおう、なんて虫のいいことを考えてます。

2.1 1984

 "Big Brother Watches You."
 街のいたる所に、男の顔と共にこのスローガンが書かれたポスターが貼られている 。偉大なる兄弟はあなたを見守っている・・・というつもりらしいが、この国ではあ らゆる部屋に「テレスクリーン」と呼ばれるフラットな画面が据え付けてあり、その 画面の電源を切ることはできないように設定してあった。常に "Big Brother" らの言葉が語られる。そればかりでなく、こちらの様子も画面を通して "Big Brother" に伝わってしまう。まさに "Big Brother Watches You." であるわけだ。これはG.オーウェルが1948年に発表した「1984年」の世界である。

 そして現実の1984年、スーパーボールの合間にこれを踏まえたCMが放映された。
 強制収容所とおぼしき場所で巨大なスクリーンに独裁者が演説をしている場面が映し出される。そこへハンマーを持った女性ランナーが現れ、スクリーンを叩き割る。そしてナレーションが−

「1月24日、アップルコンピュータはMacintoshを発表します。1984年が『1984年』のようにならない理由をお教えしましょう。」

 これは広告業界史上、伝説のCMとなっている。
 当時、Macを手にするとは、既成の体制に反逆する、変革を望むという「政治的行動」を意味することであった。

[今回のタネ本]
  • 「1984年」(G.オーウェル);ハヤカワ文庫
  • 「動物農場」(G.オーウェル);角川文庫

2.2 If the two Steve had never met ...

 1995年の大晦日に、5時間かけてビートルズの誕生から解散までをダイジェストした「ビートルズ・アンソロジー」を放映していた。ご覧になった方なら感じられたことだと思うが、もしポールとジョンがあの日あの場所で出会わなかったら、世界のロックシーンは今とは違ったものとなっていただろう。パーソナル・コンピュータの世界にも同様のことが言われている。
 −もし2人のスティーブが出会わなかったら、PCの歴史は変わっていただろう−
と。「2人のスティーブ」とは Steve Wazniak と Steve Jobbs である。

 この2人は別々の会社に勤めていたが、共同でソフトを開発をしたり、 PC を組み立ててみたりしていた。それを会社を設立して "Apple I" という名で販売した。「アップルコンピュータ」の始まりである。1976年のことである。この段階ではまだプログラミング用のマシンであり、アルファベット、しかも大文字しか入力できないという代物であった。(プログラミングにはそれで十分ではある。)
 このマシンが2.1で触れた Macintosh −当時としては革命的な GUI を提供した−になるには、いくつかの「洗礼」を受ける必要があった。

2.3 What You See Is What You Get

 Macintosh はさまざまな面で革新的であったのが、目に見える形で表現されているのは、基本的にはその GUI である。
 しかしそのコンセプトはアップル社のオリジナルではない。
 1960年代、Stanford Research Centerで知的作業のコラボレーションを研究していたD.エンゲルバートはコラボレーションのためにはそれまでのコンピュータのようにテキストのみを扱うのではなく、映像や音声を扱えるものであるべきだという考えを提唱し、そのデモを行った。この過程で画面上の場所を指定するポインティングディバイスとしてのマウスをも発明した。
 そのデモは25年以上経った今も「伝説のプレゼンテーション」として語り継がれている。
 そのデモを見て触発を受けたゼロックス社のパロアルト研究所のA.ケイが Alto というマシンを作成した。Altoは「人間が作業する」ことを前提にして作られていた。現実の作業机の上にあるであろう書類と見比べて目に違和感を与えないように白地に黒い文字で表記した。そしてそれを可能とするビットマップディスプレイを採用した。しかも書類らしく見えるようにマルチフォントも準備された。さらにレーザープリンタとの組み合わせによって、「画面のままの出力」というとんでもない機能を実現させたのだった。
 ところがゼロックスの当時の経営陣はこの革新的な試みを理解できなかった。商品として提供しないことを決定したのだ。 しかし、このAltoを見るために様々な研究者が来訪した。その中にはアップル社の社員もいた。そしてこれらのアイデアが濃縮されて Macintosh として市場に出されたのであった。

2.4 Dynabook

 2.3で触れたA.ケイは自分の考えるコンピュータのあり方・姿・それを扱う人間の姿に Dynabook という名前を付けている。新聞並の画面出力・小型で持ち運び可能・直感的な操作環境・アクションに対して即座に反応といった機能を持ったマシンを作ろうとしたのだった。
 これらを今では、WYSIWYG・Note PC・GUI・Event Drivenと簡単に口にするが、これらを一挙に提唱した彼がいなければ、Macは違うものになっていたか、アップル社とは別のところが完成させたのではないだろうか。
彼は語る−

 Dynabook は心の状態なのです。
 西洋文明では、印刷機が発明されたことで封建社会からルネサンスへと考え方が変化し、社会全体の構造が変化しました。
社会の中で自分を別の形で捉えるようになったのです。印刷することにより視点が変わり、書くことにより情報の流れの中に身を置くことになりました。これら全ての変化を起こすものが、私にとっての Dynabook なのです。小さい子どもが学習できるオーサリングの形式を採り、子どもがたのもしく進歩的に成長するに連れてパワフルなツールになるというもの、それが私の Dynabook なのです。

−と。
 マーケットの大多数を占めることはなかったとはいえ、Mac 出現以後の PC は Mac を避けて通ることはできなかった。コンピュータをパーソナルなものとし、個人の能力を引き出すものとした−Convivial なものとした−大きな大きな役割を Mac は果たしたのだ。

2.5 Why Apple Felt down ?

 しかし、革新的であった Mac はなぜ、凋落してしまったのだろうか?
 革新的であり続けることが出来なかったからだ。
 MacをMacたらしめていたあの GUI も「普通の PC の上で Mac が欲しかった」というB.ゲイツ率いる Microsoft が発表した Windows の出現で独自性を失った。
 最初、このマシンは人間の能力を引き出すために作られた。しかしある程度成功してしまった段階で、その成功を守るための経営体制へと移っていった。かといってそれ以後革新的な製品を世に問うたわけでもない。そうこうしているうちに Microsoft が OS の覇権を握ってしまい、Apple がそれほど得意としていないネットワークが極めて進展して、インターネットへの対応が大きな業界の流れになってしまった。
 独自のハードウェアと独自の OS を抱えてしまったがために、それ以後のオープン化への対応に遅れてしまったのだ。マーケティングの失敗と言ってしまえばそれまでだが。

 Mac の原型を設計した人々は現在、ほとんどアップル社を去っている。彼らが本当に作りたかったマシンは、まだどこにもできあがってはいないのに。。。。

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Updated : 1996/04/30