Chuo Koron May 1995 : pp.76-84
The Human Natures and Modern Civilization
Masahiro Morioka

Life Studies Translation Project
Translated by Felix
In Progress Version 0.027
Date : 11 Jan. 2004
The sign [number] shows the turn of pages in the original literature.

Conservation / Preservation
Support in expectation of returns / Support out of pity

( See Not So Bad version about this section. )

The Three Human Natures

  Oppositions of view between human and nature and one inside human society are shown. Of course, these are ideal types, so they may be too simplistic. I know so much that on-the-spot awareness of issues are complicated and delicate. But the issues I pointed will provide us important insights.
What comes into light is the human life torn apart. The human life is torn apart in two aspects, to nature and to human.
To nature, the human life is torn apart in two directions between protection of nature for human and one for its own sake. To human, the human life is torn apart in two directions between support of others for oneself and one for themselves. These aspects shows the natures of the human life in agony in modern civilization, desires and love. I want to allot the rest of space to contemplation on the natures of the human life.
I think that ideas on lives and nature are inconsistent because some natures of the human life at its deep inside conflict with each other. In the last part of my book "Reconsidering the Idea of Life" (Chikuma Shobo 1994)*6 ,I pointed the three natures of the human life, the nature of connectedness, the nature of self-interest, the nature of mutual support. They are at the deepest inside of us, we are always haunted by them. Contradiction the nature of self-interest and of connectedness causes contradiction between the idea of conservation and of preservation. And contradiction the nature of self-interest and of mutual support brings contradiction between support in expectation of returns and support out of pity.[end of p.79] It is impossible to arbitrate between these contradictions. Because the history that we have lived gregariously as the living have put a seal on the deepest place inside of ourselves. Only political compromise or religious appeasement can arbitrate between them.

(1) the nature of connectedness (to all living things) -- desire to be in unison with oceans and forests

  Now, let's begin with the nature of connectedness.
All livings differenciated from the original cell born on this planet some 4 billion years ago. They have eveloved through symbiosis and predation and advanced into land from sea. At last, homo sapiens have appeared. In short, all livings are consequences of evolution from network in ancient seas. All the existing lives are grown up with influence by each other, cross their genes, struggles, predation and symbiosis. Human beings (Homo sapines) can live only within network of lives. Human beings are hedged in with a complicated food chain and can live only after kill and eat. We can't live without symbiosis with plants, which means exchange O2(oxygen) for CO2(carbon dioxide). Almost same are salinity of human's blood and one of seawater. Humans' biorhythm coresponds to the tidal rhythm. Humans' bodies are in harmony with life rhythms succeeded from protozoans in the ancient sea. We have various resources in our bodies as nature has. And we are born in the network of lives, are grown by its supports and die into it.

(2)the nature of self-interest -- struggle for existence

By the way, human beings have caught, killed and eaten other living things in order to survive on the earth. Even if plants are made into an extermination and animals raise shouts of pains for survival, human beings have survived at the sacrifice of them till today. Human beings as a living thing killed and ate other living things, and uses them as life materials for comfortable survival. This is the basic principle of the life through which human beings were consistent till today. 自分たちの生き延びと快適な生のためには、他の生物をいくら犠牲にしてもいいという姿勢があったからこそ、人間は数百万年をへて今日まで生き続けて来られたのだ。 By they living, for stretch and raw [ comfortable ], Human beings have survived till today thourgh millions of years after just because there was a posture in which other living things could be made into a sacrifice how much. Otherwise, human beings should have already exterminated. We have to face this cool fact.  人間は、生命圏の中で、他の生物たちと連続性を保ち、彼らにささえられながら生きている。しかし同時に、人間は、自分たちの快適な生き延びのために、他の生物や人間を日々犠牲にしながら生きているのである。  この後者の事実は、人間に「自己利益の本性」を植え付けた。  「自己利益の本性」は、人間が自分たちの利益を最優先して行動することを肯定する。「自己利益の本性」とは、自分たちの生き残りや、利益や、快適さのために、他の生物や他人を犠牲にしたり搾取してもかまわないと考えてしまう本性だ。他人は死んでも自分だけは生き残りたいと思ったり、少々自然破壊をしても自分は快適な生活を送りたいと思ったりする人間のこころの奥底には、この本性が潜んでいる。これは、人間のエゴイズムとか、貪欲な生き方をささえている本性なのだ。 この「自己利益の本性」は、人間の中に最も根深く植え付けられた本性である。いったんそれが発動しはじめると、生命圏の中で他の生命体と交わりたいという「連なりの本性」や、共同体の中で他人とささえあって生きてゆきたいと【81】いう「ささえの本性」を力づくで駆逐してしまうパワーを持っている。  「自己利益の本性」が発動するとき、それはだいたい次の四つの形をとる。もっとも基本的なものは「自己防衛」と「自己生存」である。人間は危害に直面したときに、とにかく自分の身を守ろうと必死に行動する。そのあとで、他人に手をさしのべる。また、環境が悪化したときには、なにを犠牲にしても自分とその子孫の生き残りを最優先して行動する。  次に重要なのは「快適さの追求」と「欲望の追求」である。苦しみが少なく、快適さの多い生活をするために、人間は何でも試みる。それを達成するために文明が花開き、動植物や他の人間たちを搾取する。この傾向がさらに強まると、快楽の差異と増大を追求する行動へと高まってゆく。  この「自己利益の本性」が自然保護に持ち込まれると、人間のために自然環境を管理しきってゆこうとする「保全」の思想となる。その本性が社会福祉に持ち込まれると、現在・将来の自分自身への見返りを暗に期待する利己主義の援助思想となる。

(3) the nature of mutual support --
「ささえの本性」−−苦しんでいる他者を助けたい

 しかし、人は共同体の中で常に自分自身の利益のことだけを追求して生きているわけではない。人類が数百万年の長きにわたって生き延びてこれたのは、人類が家族を中核とした血縁共同体を形成して生活し、さらに家族を包含する様々なレベルの社会を形成して、共同で食料を確保し外敵を駆逐したからである。人類は、クロポトキンの言うような「相互扶助」を、重要な生活規範のひとつとして選択することによって、今日までやってきた。  この事実は、人間に、「ささえの本性」を植え付けた。「ささえの本性」とは、困っている者、助けを求めている者、苦しみを訴えている者、不安におびえる者などを見たときに、彼らを助けてあげたい、世話してあげたい、守ってあげたい、願いをかなえてあげたいと思い、行動してしまう本性のことである。この本性は、人間が自己の利益に反してまでも行なってしまう「利他的行動」「自己犠牲」「援助行動」の原動力になるものである。  苦しんだり、困ったりしている他者から、なんとかしてほしいと目の前で訴えかけられたときに、人間の中の「ささえの本性」は敏感に反応する。自分の都合を一瞬忘れて、その訴えかけの場の中に思わず引き込まれてしまうのである。瓦礫の下で助けを求めている人のために、この自分が何かの役に立てるかもしれないという思いは、人を予想外の援助行動に走らせる。あるいは、過去に誰かの手によって自分が窮地から救われたという記憶もまた、「ささえの本性」を目覚めさせることがある。遠くからすばやく送られてきた食料や義援金は、そういう思いのなせるわざかもしれない。ささえの【82】行動は、こうやって、時空をこえて連鎖してゆける。  「自己利益の本性」に逆らうかのようなこのパワーは、古来から宗教の戒律や、倫理・道徳の基本として説かれ続けてきた。社会福祉のところで述べた利他主義の援助思想は、この本性から導かれるものである。  ここで、「自己利益の本性」と「ささえの本性」の関係を、災害を例にとってもう少し考えてみよう。  たとえば、大きな船が突然火災になる。火と煙がすぐ後ろまで迫っている。人々は我先に船室の出口に殺到し、救命ボートを奪い合おうとするだろう。これは、自分の生命が危機に陥ったときに、多くの人がとってしまう本性的な行動である。まず自分(と家族)の生命を確保することに全力を傾け、そのためだったら他人を蹴落とすくらいのことはやるかもしれない。「自己利益の本性」が全開する状況である。  しかし、同時に、たとえば今回の震災で再認識させられたのは、一時的なパニックが終わったあとの、被害者自身による援助行動のすばやさである。自分の家が崩れ落ち、家族の安否も分からない状況で、少なからぬ人々が、生き埋めになっている他人の救助に走った。彼らは、この事態を何とかしなければという興奮状態になって、とにかく救出に駆けつけたらしい。崩れた瓦礫の下で、誰かが助けを求めているという事実を目の前したとき、自分の都合とは関係なしに、その人を助けようとする行動に出てしまう。私はこのような本性的な行動の背後に、「ささえの本性」を見たいのである。全国から瞬時に集まったボランティアの行動の背後にも、この「ささえの本性」があったはずである。  しかしながら、あと半年、一年経過したときに、被災地で利他的な「ささえ」の行動がどのくらい維持されているか危惧される。そのころには、多くの人々は自分自身の生活の利害や都合を最優先する「ふつうの人々」に戻っているはずだからである。だから、長期的な災害からの復興プログラムは、逆に、利己主義の援助思想にもとづいた、冷徹な社会建【83】設プランに主導権を移す必要があるだろう。

The relationship among human natures has changed.

以上のように、人間がこの地球上で生命体として共同体を形成して数百万年生き延びてきたという歴史が、人間の奥底に、克服しがたい三つの本性を植え付けたのだと私は考えるのである。それら三つの本性は、あるときは調和的にはたらいて問題を起こさないが、そうでないときにはお互いに根本的に衝突し、我々をとてつもないジレンマに突き落とすのである。それらが正面から衝突したときに、その衝突を根本的に調停することは不可能である。その衝突は、我々の具体的な生活や政治や思想のレベルに波及し、様々な形態をとって社会問題となる。「誰のための自然保護か」「誰のための福祉か」という難問は、その一例である。  そして、人類の歴史を冷酷に観察すれば、この三つの本性が衝突したときに、もっとも力強く他を圧倒するのは「自己利益の本性」である。人類の文明史とは、「自己利益の本性」が、他の二つの本性を力づくで従えてきた歴史だとも言える。しかし、その本性のあいだの力関係も、人類の社会のハードウェアが変化すれば当然変わってくる。たとえば、自然それ自体に価値を認めてそれを守ろうという形のエコロジー思想が、人類史に本格的に登場したのは一八〜一九世紀以降のことである。これは、工業化によって人間の環境改変能力が飛躍的に増大してきたことと関係している。そのようなエコロジー思想が徐々に影響力を増してきたとすれば、それは現代社会において「連なりの本性」が相対的に発言力を増してきたことを示しているとも言える。しかし、それはまだ強大な「自己利益の本性」と対抗するまでには至っていない。地球環境保護を進めるときでも、あるいは福祉社会の建設を進めるときでも、我々の「自己利益の本性」に結局は訴えかけなければ具体的な行動にはなかなか移れないのだ。我々が持続的な社会行動に移るのは、「人類の生き残り」が危機に迫ったときであり、「自分の老後の不安」が実感させられるときであるのは悲しい事実であろう。  しかし、それでもなお我々の内部には、自己の都合を超越し、他の生命体や自然や困っている人々のために動いてしまうという本性がしっかりと息づいている。今回の震災で我々の目を洗いながしてくれたのは、全国から自然集結したボランティアの若者たちであった。金子郁容の言う『ボランティア』を我が身で実践する人々が、この国にも育っていたのだ。しかし、彼らの行動を過剰に賛美し、その瞬間的なパワーだけに頼ろうとするのは一面的である。  我々は、対自然と、対人間の二つの場面で、二重に引き裂かれていると私は言った。その引き裂かれた深淵の両側に足を据えながら、我々自身の生き方と、今後の文明の舵取りの仕方を、ニヒルな現実主義に陥るのでもなく、かといって安易なロマン主義にひたるのでもないやり方で、模索してゆくしかないのである。【84】


[Footnotes by translator]
  1. A Chinese thinker Mengzi said. ( Back )
  2. See the list of Masahiro Morioka's books ( Back )
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Updated : 11 Jan. 2004 by Felix
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