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Bookshelf #007 : Debate on War
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『戦争論争戦』
(小林よしのり × 田原総一朗)

 小林よしのりは少し前から『ゴーマニズム宣言』で進行中の社会問題に切り込み、独特の−独自であるかはともかく−視点から主張する(ゴーマンをかます)マンガを描いています。天皇の問題、オウム問題や同和問題など、これまでだれも真正面からとりくんでこなかった問題にある種の見解を明確に、しかもマンガという「わかりやすい」メディアで表現したのが、青年層にうけたのでしょう。ある一定の「よしりんファン」が形成されており、その彼の社会への影響力は無視できないと思います。
 私も『ゴーマニズム宣言』は全部読みましたが、どうもHIV訴訟問題を扱って挫折し、自由主義史観に首をつっこみ始めたあたりから、魅力を感じなくなってしまいました。

 小林よしのりは、オウムに入っていく若者についての描いていた『ゴーマニズム宣言』のシリーズや、HIV訴訟原告団との関わりの初めから終りまでを描いた『脱・正義論』で、自分の「個」を見い出しえず、組織活動や社会活動に参加することを自己目的化し、それが「生きがい」だと錯覚する若者に対する強い警告を発していました。特に『脱・正義論』では、被害者でもないのにHIV訴訟原告団の活動に集まる若者に、自律した個の連帯を見ていたようですが、それがやがて原告団の活動そのものに飲み込まれていってしまう様を嘆き、「さらばだ、個の連帯は幻想だった」とまとめています。

 あくまで個人的な見解ですが、小林よしのりも、現代人がアイデンティティを失い、何らかの根拠を求めてさまよっていることに気付いていたのでしょう。

しかし、混迷の時代に、迷える子羊は確信の人にはかなわない。

 それが正しいものであるか否かにかかわらず、諸問題に解答を与えてしまう個人との出会いは、迷う者にとってはきわめて魅力的です。人がカルトに流れていく背景には、このアイデンティティの崩壊があるというわけです。おそらく小林よしのりも、そこまでは同意見だと思います。

 そこで個の確立をどのように行うかという点で「公」とのかかわりの視点が問題になります。小林よしのりはそこで「公」=「(歴史と伝統を含む)国」としてしまったようです。結局、『戦争論争戦』はこの部分をめぐる議論です。
(とはいうものの、よしりんの主張は明確だが、田原の切り込みはイマイチだな。)

 この構造はH.アーレントが『全体主義の起源』(みすず書房)で指摘しているそのもののように思います。彼女は、全体主義が成立するための、支配される側の条件として、平等社会の成立・中間組織の絶滅・「大衆」心理を挙げています。つまり、民衆の構成員それぞれが孤立化している状況です。それを束ねる運動が現われて、個別にかっさらっていく…。
 20世紀はサイクロトロンであって、集合名詞であった人間を群衆の構成要素として分解してしまったのかも知れません。(というようなことをG.ルボン『群衆心理』でも言っています。)

 民衆のそれぞれが孤立化している状態が、全体主義成立のもっとも危険な素地なのです。

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Updated : 1999/02/14