
館蔵名品珍品あれこれの更新を5ヶ月の長きにわたってお休みしまして申しわけございませんでした。平にご容赦を<(_ _)>。この間、柳沢文庫は第2期の館内改装を終え、館長も交代といろいろございました。そんなことはともかく、今回は先日ようやくオープンしました夏季企画展「広告・新聞・写真などにみる明治・大正・昭和の郡山」の陳列品のなかから逸品を紹介させていただきます。
さてさて、今回は明治時代の引札を紹介します。引札とは何かご存じでしょうか? 引札と申しますは、早い話が広告です。引札は、江戸時代に新たに登場してきた広告のひとつです。現在でも、新聞や雑誌の掲載広告や折り込み広告、さらには電車の吊り広告、テレビCMなどいろいろな広告を目にすることができます。これらの広告の原点ともいうべきものが、この引札です。
昔は、現在のようなテレビや新聞のようなメディア媒体もありません。そこで各商店とも、店のPRのため錦絵をとり入れた華やかな趣向をこらしたものを競って作っていたのです。江戸時代から明治30年代初頭にかけて数多く作られましたが、やがて新聞が各地で発刊されるようになると折り込み広告や掲載広告が一般的になり、引札は姿を消していきました。
こうした引札はただ単に買い物案内という役割をもっていただけではなく、色彩の鮮やかな出版物の少なかった時代、庶民はこの引札をもらうのをたいへん楽しみにしていたそうです。ひとくちに引札といっても、いろいろな用途のものがあります。昔は、現在のように買い物をしたその場で現金を支払うわけではありません。「節季払い」といって、盆や暮れ(8月や12月)にまとめて支払いました。それまでの半年あるいは一年の勘定はツケというかたちで扱われていたのです。そうした節季払いが滞りなく完了した領収証とともに、たとえば12月の支払いの場合だと今回も陳列しています来年用の暦入りの引札が配られました。また正月には「恭賀新年」などの文字が入り、縁起物がデザインされた錦絵のついた引札というように、さまざまな場面場面でいろいろな引札が使われ、それを通して商店とお客のつながりが作り出されていったのですね。
郡山の商店もこうした引札を盛んに作り、お馴染みさん、お得意さんとのつながりを深めていました。ここで紹介します引札は、そうした郡山の商店が出した引札のうち、本館が所蔵する4点です。
【写真1】は、「海老鶴店」という酒屋さんの引札です。この酒屋さんは海老鶴という屋号ではありませんが現在も郡山の矢田筋という近鉄郡山駅からJR郡山駅に続く通りで営業されています。画面は、七福神たちが一生懸命酒造りにはげんでいるようすが描かれていますね。見ているだけでもたいへんおめでたい感じを受ける一枚です。おそらく新年のあいさつ用に作られたものなのでしょうね。和洋酒と他にあられ酒、奈良漬けを販売しています、と書いてあります。みなさんあられ酒って何かわかりますか? あられ酒というのは大和名産のひとつで女性も呑みやすいようにと甘みを強めにして造られたものなのです。今でもあるそうですから、お酒好きの方試されてはいかがでしょうか?
次に【写真2】は、「河内屋」さんという、うどん、そばや牛鍋を出したお店の引札です。「郡山城ノ口」という住所が書かれています。この住所からすると、郡山の老舗菓子店として有名な「菊屋」のあるあたり、大和郡山市役所の近くということになりますが、どこで営業していたお店なのか地元の古老に聞いてもまったくわかりません。明治時代頃にしか営業していなくて、間もなくなくなってしまったお店なのかもしれませんね。この引札の画面は、日の出を前に芸能を生業にする人たちが千秋万歳を舞っているようすが描かれています。千秋万歳というのはお正月に家の前で、その家の繁栄などを祈願しておこなわれる芸能で、江戸時代まで盛んにおこなわれていたものです。ですから、この引札も【写真1】と同じように新年のあいさつ用に作られたものだと考えられます。
そして【写真3】はこれまた今は営業されていませんが、今井町にあった奥本店という煙草屋さんのものです。煙草の他に「万小間物」や「紙石鹸」を販売していたと書いてあります。雑貨屋さんの感じですが、昔のお店はわりと取り扱っている品目が多いのがふつうだったみたいです。この図柄は、日の出とお花のなかに2人の女の子が描かれているものです。たぶん新年のあいさつ用かなあとも思うのですが、これだけだと何のために作られた引札かははっきりとはわからないですね。でも、女の子のヘアスタイルや着物に袴を着けた服装はどこかで見かけたことはありませんか? そうテレビのハイカラさんが通るの世界ですよね。いかにも明治時代という感じがする絵です。郡山にも、こうしたスタイルの女性たちが闊歩していたのではないでしょうか。
最後の【写真4】は、「魚竹店」という堺町にあった鮮魚商のものです。こちらも、現在はすでにないお店です。若い漁師夫婦でしょうか、男女2人が魚籠いっぱいの鯛を運んでいます。その後ろでは、七福神の一人大黒天が鯛を釣り上げています。そして、そのかたわらには「初春や大漁の浜に福の神」という俳句一首が書き添えられています。その内容からしても、この引札もまた新年のあいさつ用に作られたものといってよいのではないでしょうか。鮮魚商のものらしい引札です。
以上、四点の引札を紹介してきました。いずれも、昔ながらのお馴染みさん、お得意さんの世界をよく表しているものではないでしょうか。こう書いています私面独斎にしても、正直なところこうしたお馴染みさんの世界にはあまり縁がありません。現在のような大規模店舗の多くなった時代では、店とお客のつながりといっても限られたもので、馴染み客、お得意様という言葉に何かピンと来るものがなくなってきているのではないでしょうか。でも、少し昔こうした引札を通じて店々は多くのお得意さんとつながっていたのですね。
現在は大規模店舗におされて郡山の昔ながらの商店街はシャッターを下ろしたままのところが少なくなく、本当にさびしい限りです。でも、こうした引札を見ていると多くの買い物客が行き交いにぎわっていた頃の商店街のありさまが瞼に浮かんでくるようです。そんな時代の商店街を何も知らない私もなぜか郷愁を感じてしまう一枚一枚です。
************************************************************************* 柳沢文庫ではこうした引札を集めた05夏季企画展「広告・新聞・写真にみる明治・大正・昭和の郡山」を2005年6月18日から8月28日まで開催しています。ここで紹介しました館蔵の引札の他、多くの引札や引札の後を受けて現れてきた広告などに加えて、郡山を撮したなつかしい写真を多数陳列しています。郡山を知っている方も知らない方もぜひ一度ご来観ください。きっと何かなつかしい気分を味わえると思いますよ。
(本館学芸員 西村幸信 20050621)
| 第1回 | 「六義園絵巻」 | 第2回 | 堯山書「放下放不下」「以弱勝強」 |
| 第3回 | 柳里恭「恨別詩」 | 第4回 | 「荻生徂徠書状」 |
| 第5回 | 霊元上皇下賜硯・霊芝 | 第6回 | 「郡山八景和歌」・「和州郡山八景」 |
| 第7回 | 「郡山町名尽」 | 第8回 | 明治時代の引札 |
| 第9回 | 徳川綱吉書「過則改勿憚」 | 第10回 | 柳沢吉里画「柿本人麻呂像」 |
| 第11回 | スクラップブック | 第12回 | 朱印状・領知目録 |
| 第13回 | 柳沢吉保和歌懐紙二幅 | 第14回 | 柳沢吉里画「武田二十四将図」 |
| 第15回 | 柳沢信鴻画「山水図」 | 第16回 | 柳沢保申書「在知人在安民」 |
| 第17回 | 「柳澤家中旗指物図」・「旗本備立図」 |
