=第6回=
  9月28日(土)にオープンした秋季特別展も間もなく会期のなかばを過ぎようとしています。まだお越しでない方に、どれ一度見に行ってみようという気をおこしていただくために、会場の陳列品から二つの名品を紹介させていただきます。ただし、「和州郡山八景」の方はこの原稿がアップされる頃には展示替えで、見れなくなります。見逃した方はこのコーナーでお楽しみ下さいませ。

 以下、会場に出しております解説パネルをまじえまして。
 「郡山八景」といわれても、はてなんだろう?とお思いの方も多いかもしれません。日本における八景のルーツといわれる「近江八景」などのようにあまり知られていません。八景というと読んで字の如く、八つの名勝の風景のことです。実は、郡山にも八景があったのです。それを定めたといわれているのが秋季特別展の主人公柳沢吉里です。
 柳沢吉里は、享保九年(一七二四)大和郡山に入ると、間もなく「郡山八景」を定めたといわれています。これは、父吉保が甲府八景を定めたことにならったものですが、たんに名勝を選んだというだけではありません。そのねらいのひとつに「郡山八景」を宣伝することにより、観光客の誘致をねらったもの、いわば観光資源の開発があったといわれています。甲府時代に吉保・吉里親子が熱心に取り組んできた産業振興のアイデアが大和郡山でも活かされたんですね。
 では、その「郡山八景」には何が選ばれていたのでしょうか? 「郡山八景」には「三輪山花」、「西大寺古柳」、「伊駒山郭公」、「伏見里鹿」、「益田池月」、「竜田川紅葉」、「秋篠時雨」、「初瀬山雪」が選ばれています。それぞれ名勝の四季の情景をとりあげたものです。
 これをみるとどれも郡山の名勝ではない、と疑問を持たれる方もおられるかもしれませんね。「○○八景」といった場合、必ずしもその地域のなかにある名勝とはかぎりません。たとえば郡山八景の場合は、郡山から眺められる八ヶ所の名勝という意味なのです。
 現在では建物などにさえぎられて眺めることはできませんが、吉里の頃は天気の良い日に天守台の上にあがるとみえるものもあったのではないでしょうか? ただし、八景のなかにはその場所から必ずしも実際に眺めることができない風景も含まれています。遠くから聞こえてくる鐘の音を八景のひとつに選んだものなどもあります。これなどは選者吉里の心のなかの風景ということでしょうか。
 吉里は郡山八景を選んだだけではなく、それを積極的に宣伝することに努めます。そのひとつとして武家歌人の仲間たちにも広めようとしていたようです。歌人たちの間では、八景を歌題、つまりテーマにして和歌を詠むことがはやりますが、吉里はそうした機会を利用して「郡山八景」を宣伝しようとしたんですね。今回、紹介させていただく「郡山八景和歌」と「和州郡山八景」はそのようななかで詠まれたものです。「郡山八景」は、吉里が自分も含めて仲間八人で詠んだものです。それに対して「和州郡山八景」は、吉里の歌人仲間のひとり仙台藩主伊達吉村がひとりで詠んだものです。
 とりあえず「郡山八景」の方から紹介していきましょう。その詠み手八人のラインナップは別表のとおりです。荻生徂徠などの縁で親交があったのではないかと考えられる黒田直邦や役目柄吉里の父吉保とかかわりが深かった高家衆、さらには吉保の同僚であった牧野成貞の三男貞倶など五代将軍綱吉の側にあった人たちで、それぞれに教養人として知られ、吉里とも若い頃から交遊が深かったと考えられる人たちです。
 それぞれの詠歌は次のとおりです。
三輪山花 みわの山杉はむら立霞む日も
     花ハよそめにかゝるしら雲
直邦  三輪山花
西大寺古柳 幾春のみとりふりせてこの寺の
     みきりになひく青柳の糸
正敦 西大寺古柳
伊駒山郭公 声ハたゝ雲井はるかのほとゝきす
     いこまの山の峯やこゆらむ
玄長 伊駒山郭公
伏見里鹿 里のはな伏見に夢ハむすはすも
     つまをかこふる棹鹿のこゑ
貞倶 伏見里鹿
益田池月 えならすよすみわたる影もふけゆくは
     益たの池の月きよくして
資親 益田池月
竜田川紅葉 うすくこくそむる立田の紅葉はに
     にしきをあそふ秋の河なみ
賢長 竜田川紅葉
秋篠時雨 幾度かはれくもりつゝあきしのゝ
     里も時雨もふりまさりゆく
基祐 秋篠時雨
初瀬山雪 入相の鐘のひゝきはうつまねと
     雪に泊瀬の山そくれゆく
吉里 初瀬山雪

郡山八景和歌  「三輪山花」と「西大寺古柳」が春、そして「伊駒山郭公」が夏、「伏見里鹿」から「竜田川紅葉」までが秋、「秋篠時雨」と「初瀬山雪」が冬の歌という構成になっていて、それぞれの名勝の四季の情景がよく詠み込まれています。よく詠み込まれています、とはいうものの凡人の私にはなかなか歌に詠み込まれた情景が頭に浮かんではきてくれませんが.....。みなさんはいかがですか? ちなみにこの八景和歌の箱書には「武家方寄合自歌自筆」、「外題冷泉中将為村朝臣」とあり、この巻子の外題「郡山八景和歌」(【写真9】)は吉里の和歌の師のひとりである冷泉為村の筆によるものであることがわかります。為村の指導を受けてまとめたのでしょうか。

 さて、もうひとつの伊達吉村の詠んだ「和州郡山八景」、こちらは先ほどふれましたように吉村一人で詠んだものです。その詠歌は、次のとおりです。
 三輪山花・西大寺古柳 三輪山花 おりもあれとふ人あらは三輪のやま
      いかにまちミむはれのさかりを
西大寺古柳 此寺のふかきのやなきいまも猶
      おもかけのこすよゝの春かせ
 伊駒山郭公 伊駒山郭公 一むらの雲にきこゑてほとゝきす
      い駒のやまのみねにてなく
 伏見里鹿・益田池月 伏見里鹿 ふしミ山里のあさきりはるはれて
      稲葉のひまにしか鳴なり
益田池月 所からひかります田のいけの名も
      秋にふりせぬ月のさやけさ
 龍田川紅葉・秋篠時雨 龍田川紅葉 たつ田河こするのあきのかけみせて
      もみちを色になかす川なミ
秋篠時雨 きのふりもなかめてくれしあきしのや
      外山のはつれ冬しつくなり
 初瀬山雪 初瀬山雪 はつせ山まきもひはしもうつりれて
      雪よりひゝく入相のかね
和州郡山八景  四季など歌の構成については「郡山八景和歌」とかわるところはありませんが、「郡山八景和歌」とはまた違った味わい深い名勝の四季の情景が詠み込まれています。もちろん、吉村が郡山を訪れることはなく、郡山八景を実際に目の当たりにしていませんが、その風景を目の当たりにして詠んだかのようにさえ思えるものとなっています。まさに歌人吉村の才能の片鱗をうかがわせてくれるとともに、当時の武家歌人のレベルの高さをも感じさせてくれます。
 この和州郡山八景の箱書には「仙台左中将吉村朝臣自歌自筆、武者小路実陰卿添削也、外題吉村朝臣自筆」(【写真15】)とあり、合点などはみえませんが霊元歌壇の歌人として知られ、吉里とも交遊の深い武者小路実陰の添削を受けていることがわかります。先ほどみた郡山八景和歌と同じようにここからもまた武家歌人同士だけではなく、京都の堂上歌人たちもふくめた広い歌人同士のつながりをみてとることができます。そのなかで武家歌人を代表するひとり、武家歌人と堂上歌人をつなぐ存在として吉里があったことがよくうかがうことができます。
 また、それだけではなく自身の文芸活動を藩の振興のためにも役立たせていこう、文芸の道に精進しながらも、つねに藩主としての心構えを忘れることのなかったあたりに吉里の名君と評されたゆえんがあるのかもしれませんね。


 秋季特別展の会期もあと残り1ヶ月を切りました。今回は、ここで紹介した「郡山八景和歌」、「和州郡山八景」をはじめ歌人吉里にかかわる名品を陳列しております。展覧会のみで公開という物も少なくありません。ぜひこの機会にお見逃しありませんように。まだご観覧いただいてない方々はぜひご来館ください。面独斎もお待ち申し上げております。

(本館学芸員 西村幸信 20041102)     

館蔵珍品名品あれこれ
第1回「六義園絵巻」 第2回堯山書「放下放不下」「以弱勝強」
第3回柳里恭「恨別詩」 第4回「荻生徂徠書状」
第5回霊元上皇下賜硯・霊芝 第6回「郡山八景和歌」・「和州郡山八景」
第7回「郡山町名尽」 第8回明治時代の引札
第9回徳川綱吉書「過則改勿憚」 第10回柳沢吉里画「柿本人麻呂像」
第11回スクラップブック 第12回朱印状・領知目録
第13回柳沢吉保和歌懐紙二幅 第14回柳沢吉里画「武田二十四将図」
第15回柳沢信鴻画「山水図」 第16回柳沢保申書「在知人在安民」
第17回「柳澤家中旗指物図」・「旗本備立図」