
みなさま、若葉のきれいな季節になりましたね。柳沢文庫周辺はつつじが咲き誇っています。いつもの面独斎こと西村でございます。本調子、というわけにはまだまいりませぬががんばっておりまする。みなさま、応援してくださいね〜。* * * * * * *
さてさて、今回はどうして今までこのコーナーでとりあげなかったんだとお叱りを受けそうなほどの館蔵品中の逸品のひとつ、柳沢吉里画武田二十四将図を紹介したいと思います。
第10回で柳沢吉里の人となりについてはすでに紹介しましたので省略させていただきます。でも、画人としての吉里については少し繰り返しになりますがふれさせていただきますと、やはり狩野派に学んだだけのことはあるというか何と申しましょうか、吉里の「画人伝」に列せられるほどであったという、その画技が一番さえ渡っているのが人物画だと思います。その筆づかいは巧緻繊細といいましょうか、まこさに活き活きとリアルにその人物の表情が描き出されています。この人の絵を薄暗い収蔵庫のなかで見ていると、絵のなかから人が今にも飛び出してきそうでコワイような感じがします。テレビのなかからお化けが出てくる映画がありましたけど、まああんな恐さじゃないんですけどね。
話が思いっきりそれてしまいましたが、本題に戻りたいと思います。まず何はともあれ、吉里の二十四将図です。【写真1】だけ見ても何か吉里の画才を感じることができるのではないでしょうか? 文庫で販売している絵葉書セットにも入ってますし、レプリカをよく常設展示コーナーに出したりしてたんで見たことある方も多いと思います。しかし、本物を見た方はそうはおられないんじゃないでしょうか。1昨年の春季企画展で一大決心をして陳列しただけですので。保存状態としては絵の具の浮きが目立つところもあり、剥落の危険性もありますので、展覧会はもちろん、調査のための閲覧も停止しておりますので、修復が実現するまではレプリカかもしくは本コーナーの画像のみでしか見ることはできません。みなさんも、ここでよく楽しんでくださいね。
さて、この「武田二十四将図」は江戸時代中期から後期にかけて吉里たち狩野派の絵師によってよく描かれた画題のひとつで、武田氏とゆかりのある恵林寺(山梨県塩山市)、武田神社(山梨県甲府市)や高野山成慶院(和歌山県高野町)などに伝来しています。「二十四将図」とひとくちにいっても、一番上に武田信玄を描く構図は変わりませんが、そのもとに描かれている武将は一致していません。武田二十四将という呼び表し方が、信玄たちが活躍した戦国時代からあったのではなく、江戸時代に入って甲州流軍学などについての関心が高まるなかで成立したためです。
もちろん吉里の場合、袖に【写真2】にみえますように「武田信義十八世甲斐侍従吉里画」と署名しているところからもうかがえますように、単なる画題としてのみ「二十四将図」をとりあげたものとみることはできません。やはり自分が武田信義の末裔、甲斐源氏のながれをくみ、武田氏と先祖を同じくするという強烈な自負、そして武田氏の名将たちへの敬慕の念がそこにあったのではないでしょうか。江戸時代に柳沢氏は武田信玄や武田勝頼の墨跡を収集していたといわれています。そうしたところにも、吉里や代々の柳沢氏当主の武田氏への敬慕の念を深く感じることができるのではないでしょうか。
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今回は短めの館蔵名品珍品あれこれということで、このあたりで終わりにさせていただきたいと思います。ここのところなかなかのペースで更新できているのではないかと自画自賛しています。(だって誰もほめてくれない・・・)次回も早めのアップを目指すぞー!(本館学芸員 西村幸信 20060509)
| 第1回 | 「六義園絵巻」 | 第2回 | 堯山書「放下放不下」「以弱勝強」 |
| 第3回 | 柳里恭「恨別詩」 | 第4回 | 「荻生徂徠書状」 |
| 第5回 | 霊元上皇下賜硯・霊芝 | 第6回 | 「郡山八景和歌」・「和州郡山八景」 |
| 第7回 | 「郡山町名尽」 | 第8回 | 明治時代の引札 |
| 第9回 | 徳川綱吉書「過則改勿憚」 | 第10回 | 柳沢吉里画「柿本人麻呂像」 |
| 第11回 | スクラップブック | 第12回 | 朱印状・領知目録 |
| 第13回 | 柳沢吉保和歌懐紙二幅 | 第14回 | 柳沢吉里画「武田二十四将図」 |
| 第15回 | 柳沢信鴻画「山水図」 | 第16回 | 柳沢保申書「在知人在安民」 |
| 第17回 | 「柳澤家中旗指物図」・「旗本備立図」 |
