=第13回=
 みなさん、もうすぐ春ですね(それにしてはまだ寒いですけど.....)。春といえば何か良いことありそうな気がしませんか? ちなみに、面独斎めは昨年度来体を壊したのが祟って、またぞろ少しばかり入院しないといけなくなりました。あぁ、もうすぐ郡山城跡にも桜が咲き誇って、3月28日からは恒例のお城まつりが始まるというのに......。面独斎めは桜の花とともに散る運命なのでしょうか? そうなってもみなさん面独斎めのこと忘れないでくださいね。あっははは、そんなことは絶対ありませぬ。必ず面独斎めは生きて再びみなさまの御前に戻って参りまする。お城まつりに間に合わせるぞ〜。綿菓子が食べたい。

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 さて、くだらない前置きが長くなりました。今回は、この原稿を書いております本日、3月18日に無事オープンしました2006年度春季企画展「柳沢歴代藩主の文芸世界」の陳列物のなかから企画展のPRもかねまして柳沢吉保の和歌懐紙二点を紹介させていただきたいと思います。
 柳沢吉保が優れた歌人で、その名声は都でも認められていたということはこれまでも口をすっぱくして申し上げてきました。霊元上皇という江戸中期を代表する歌人や上皇のもとにつどう「霊元歌壇」(霊元上皇を中心とする歌人たちのサークル)の公家たちとも深い交遊を結んでいました。
 本館にも彼が残した「保山公御詠歌手鑑」(吉保の死後、吉保の和歌短冊や色紙を2冊の折帖にまとめたもの)をはじめとして数多くの和歌詠草が所蔵されています。なかには今回も陳列しています霊元上皇から「加点」(かんたんに言うと添削です)を賜った和歌巻子(【写真1】)もたくさんあります。年のため申し上げておきますと添削といっても赤ペン先生の添削ではありませんよ。霊元上皇に「合点」(今でいうと花丸印でしょうか)をもらったり、良い歌だけどこう直したらもっと良くなるよ、という添削をしてもらうことは歌人としてたいへんな名誉なことだったのです。そんじょそこらの歌人じゃ見てもらうことさえできなかったのです。
 それはさておき、今回そのなかから陳列していますのが、まず【写真2】の和歌懐紙です。画面では加工処理してありますのでわかりにくいですが、軸装されています。この和歌は、歌人として円熟の境地に入りつつあった柳沢吉保が詠んだ四季七首和歌です。「早春柳」(春)、「帰鳫遥」(春)、「庭新竹」(夏)、「夕草花」(秋)、「野径萩」(秋)、「馬上雪」(冬)と四季を詠んだ六首と「寄世祝」(当代の盛んなることを称える和歌)からなっています。最後の詠歌は四季とは直接関係ないように思えますが、こうした場合、最後を祝歌でしめるのが和歌のスタイルでした。
 いずれも、吉保らしい季節感や情緒あふれた詠歌となっています。その詠歌の釈文を画面右手の詠歌からあげておくと次のとおりです。

                  四位少将吉保
  早春柳 いつしかに春くる風のいろなれや/なひくミとりの庭の青柳
  帰鳫遥 見をくりておよひかたしやはるかなる/雲路をかへるかりのひとつら
  庭新竹 あけやすきよのまの露も置とめて/わか葉いろそふ庭のくれ竹
  夕草花 さまゝゝのをのかいろなすゆふつゆに/ミたれて匂ふ秋の花その
  野径萩 玉ほこの道行人のたもとさへ/あきの野もせの萩のにしきか
  馬上雪 かきくれていくかかさねし旅衣/駒もあやふむ雪のふる道
  寄世祝 おさめしる君そかしこき人ことの/我か世もやすくわたるめくミは

* 原文では歌題の下に/で折り返して二行で書き記されています。

 時代がはっきりしませんが、もしかしたら六義園の風景を眺めつつ詠んだものなのかもしれませんね。ただし、この頃は、「四位少将吉保」という署名からしても、まだ現役の藩主として、側用人の激職にあった時代です。公務の間にも、和歌の精進を怠らなかったあたりに和歌の人としての吉保の真骨頂があるのではないでしょうか。最後の「寄世祝」の「おさめしる君そ・・・・」とあるのは吉保の主君、第五代将軍徳川綱吉のことであることはいうまでもありません。
 ちなみに、懐紙も桜の花や柳があしらわれた美しいものが使われています。こうした懐紙は歌会などで使われる打曇〈うちぐもり〉という正式な懐紙(【写真3】)とは違って特別製のもので、誰かにプレゼントしたり、何か特別な意味のあるものとして詠まれた和歌が書き上げられたものです。残念ながら、どういう経緯でこの懐紙が作られたのかはわかりませんが、吉保にとって意味あるものだったのでしょうね。
 私のような凡人にはとても、このようなセンスのある和歌はとても詠めたものではありません。でも、どれも良い歌ですよね。
 さて、次ぎに紹介しますのは【写真4】の和歌懐紙です。こちらも加工処理してありますので画面ではわかりませんが、軸装されています。この和歌は、吉保の嫡子吉里が元禄15年(1702)に侍従の官職を拝任した慶びを詠んだ和歌です。あれっ?でも和歌といえば5・7・5・7・7の31文字のはずなのにえらい長いなあと思われる方がおられるかと思います。実は、これ一首の和歌ではなく、3首和歌といいまして慶事の際に詠まれるセットになった和歌なんです。三首か五首か七首の3とおりがあったそうで、ここでは三首和歌が詠まれています。


 その釈文をあげておくと次のとおりです。
 吉里侍従拝任の
     慶賀を
           左少将吉保
   かしこしな君かめくみを
   みかさ山申すゑも移る
   紫の袖
   むらさきの袖をうつして
   石清水神と君との
   めくみをそ見る
   こすえにも君の恵の
   あらハれて松よりすたつ
   千世の雛鶴

 一首目は、自分たち親子をここまでに引き立ててくれた「君」、つまり第五代将軍徳川綱吉への感謝を、そして二首目で源氏(柳沢氏は甲斐源氏の末裔です)の氏神である石清水八幡宮と綱吉への感謝の思いを、そして最後は綱吉の徳の高さを称えたものでしょうか。いずれにしても、吉里の昇進の慶びに満ちあふれた詠歌三首となっています。
 この頃、柳沢氏としても絶頂期を迎えているわけですが、その慶びを詠歌で表すあたりに、やはり歌人としての吉保の真骨頂をみることができるのではないでしょうか。
 この懐紙も藤の花でしょうか、何かの花があしらわれた特別製の懐紙です。これはわかりやすいでよね。吉里の侍従拝任という柳沢家にとって大きな慶びの日を記念して詠んだ和歌三首ですので、こうした懐紙が使われたんですね。この三首を詠んだ吉保の父親としての慶びは本当にいかばかりのものだったでしょうね。
 側用人として権勢をふるった悪役の権化のようなイメージがある吉保ですが、これらの懐紙を見てると本当に心の清々しい人で、なおかつ人間味のある人だったことを感じられませんか? 面独斎めは吉保の人間性にふれた思いがしました。


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 春季企画展では、この吉保の和歌懐紙2点の他、新出史料32点を含む柳沢歴代藩主の文芸世界での足跡を示す史料を陳列しております。なかには、この機会を逃すとおそらく二度と見ることのできる機会がないものも少なくありません。会期は6月4日まで続きます。みなさんもぜひ、この機会に優雅な文芸の世界に浸ってみませんか? 花見あるいは城跡の新緑を見物がてらどうか柳沢文庫の方に足をお運びください。面独斎めはその頃にはいないかもしれませんが、お奈美さん(^^;)はじめ職員一同心よりお待ち申し上げております。
 ではでは、今回はこのへんで終わりとさせていただきたいと思います。会期はまだ長いですので、無事生還のあかつきには(還ってくるに決まってますが)、陳列品のなかからまたこれはという逸品を紹介させていただきたいと思います。ご期待くださいね。

(本館学芸員 西村幸信 20060318)  


館蔵珍品名品あれこれ
第1回「六義園絵巻」 第2回堯山書「放下放不下」「以弱勝強」
第3回柳里恭「恨別詩」 第4回「荻生徂徠書状」
第5回霊元上皇下賜硯・霊芝 第6回「郡山八景和歌」・「和州郡山八景」
第7回「郡山町名尽」 第8回明治時代の引札
第9回徳川綱吉書「過則改勿憚」 第10回柳沢吉里画「柿本人麻呂像」
第11回スクラップブック 第12回朱印状・領知目録
第13回柳沢吉保和歌懐紙二幅 第14回柳沢吉里画「武田二十四将図」
第15回柳沢信鴻画「山水図」 第16回柳沢保申書「在知人在安民」
第17回「柳澤家中旗指物図」・「旗本備立図」