【酸性雨】

・魚が消えた
  ・1960年以降、北欧やカナダの川や湖から魚がいなくなった
  ・魚のいなくなった川や湖の水は酸性を示していた
  ・通常は川や湖の水は中性pH605〜7だが、
    pH6でエビ、カニ、貝が、pH5.5でサケ、マスが、pH5で最
     も酸性に強いウナギが、pH4.5以下では一切の生物が死滅する
     プランクトンや水藻も死に絶えた「透明な死の湖」となる

・髪が緑色になった
  ・1960年、北欧で髪が緑色になる事件が多発
   これは水道水が酸性化し、水道管の銅が溶け出して髪を変色させた
  ・死んだ魚から高濃度の金属(土が酸性化するとアルミや銅など金属イ
   オンが溶け出す)
  ・人間にも被害(アルツハイマー病はアルミが脳に蓄積)

・酸性雨とは
  ・酸性雨はpH5.6以下(ワインは4、酢酸は3、胃酸が2)
  ・1960年以降、pH4以下の強い酸性のものが珍しくない
  ・大気汚染物質が雨水に溶けて硫酸や硝酸になる
    SOX+ H2 0・/H2 S04 硫酸
    NOX+ H2 0・/H N 03 硝酸

・最大の被害は針葉樹
  ・魚が消えた地域の森林に大きな被害が出始めた
  ・東欧最大の国立公園、チェコのクルコノシェは突如将棋倒しで全滅
   土が変質し植林しても木が育たない
  ・北欧、カナダを始め世界各国に大きな被害(立ち枯れ、白骨化)
  ・針葉樹は酸性雨に弱い(落葉しないのでダメージが蓄積/裸子植物)
  ・酸性雨で弱った森林は病虫害にも抵抗が無くなる

・酸性雨の被害は、ある日突然
  ・自然界は中和能力があるが、それが尽きると急に酸性になる
  ・突然魚が死に、森林が枯れる
  ・これをアシッドショック(酸性ショック)と呼ぶ

・醸性雨は大理石や金属を破壊
  ・平均すればpHが2小さくなった(酸性強度が100倍)
  ・欧州では国宝級の建物や彫刻が醸性雨で溶け始めた
  ・東欧では鉄道レールも腐食して危険

・スモッグから酸性雨へ
  産業革命が最も早く進行したイギリスでは「地獄のような陰惨な煙はロ
  ンドンを覆っている」「庭の果物も実らず、子供の半数は2才以下で死ん
  でいる」など早くから深刻な事態
    1852年、スミスが初めて酸性雨(Acid Raln)と名付けた
    1952年、「殺人スモッグ」が発生、死者4000人
    1956年、大気浄化法で高層煙突を推進、被害は全欧州に広がる
    1960年、森と湖の北欧で被害が目立ち始める
    1972年、ストックホルムで世界初の「国連環境会議」

・日本の実態
    1936年、最初の記録(東京4.1、神戸5.2、浜松5.6)
    1966年、四日市の公害対策として高煙突化、被害が遠方に広がる
    1970年、皇居など東京の杉に立ち枯れが目立つ
    1974年、関東で酸性雨、3万2000人に被害
    1980年、日光白根山のダケカンバ、苫小牧の松、佐賀県のアカマツ、
          赤城山のシラカバ、妙高高原のドイツトウヒが立ち枯れ
  ・日本は火山性土壌で酸性雨に強いといわれていたが、土壌認査の結果、
   すでに7割がpH5〜6と酸性化
  ・東京湾を中心とする60キロ圏ではほとんどの地域で深刻な被害が出
   ており、ほとんど枯れ死状態の重度被害が放射状に広がっている
  ・主要都市を中心に同様の状態が進行している

・私たちにできること
  1、自動車、マイカーの使用を減らす(都会のNOXの半分が自動車)
     ・マイカー通勤、都会への乗り入れの制限(欧州の主要都市)
     ・赤信号でエンジンをストップ(欧州など)
  2、ディーゼル車をやめる(NOXや黒い粉塵はガソリン車の10倍以上)
  3、電気やガスの無駄使いをやめる


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