能舞台

2004年5月に考古学学会の創立記念に能舞台でライブを、というお話を頂き、まず会場を下見させて頂いた。

アンプを使った電気楽器のライブはいまだかつて無いということで、不安と期待が交差する。東大寺大仏殿・春日大社・若草山に囲まれた世界遺産地域のど真ん中。周りの風景に溶け込むかのように優しく調和する建物と庭園。その中に能楽ホールがある。一歩足を踏み入れるとそこには、思わず沈黙してしまいそうになる重みのある格式と神聖な空気が漂っていた。ステージはどこであれ、音楽に携わる者にとっては聖域にかわりはないが、今までに経験したことのない全く違うフィールドの上に立たせて頂くことに自然とモチベーションが高まる。

しかし、ここは能の舞台、音楽用ではないため、様々な制約が目前に立ちはだかる。普通花道と呼ばれる、橋掛かりは能関係者以外は立入禁止、舞台には土足で上がれない。屋根が反響盤になる構造・・などなど。音響や搬入搬出にどう対処したらいいのか。今からの短い時間でこの舞台にどこまで近づくことができるのか、またしても大きなハードルに挑もうとしている私がいる。2004年3月・記 

          落ち込みからの脱出 2004年5月、新緑の美しい世界遺産の点在する地の能の舞台に
私はシンセサイザー奏者として、初めて舞台に立った。
舞台の大小に関わらず、常に真剣に準備をしているが、
今回は、受ける側も初めてという状況の中、一層の緊張感があった。
メタリックだった曲も能の舞台用にクラシカルに音源を編集し直した。
打ち合わせを重ね、和太鼓メンバーや管楽器奏者との結束も固めた。
リハーサルを無事終え、万全と思われたが、本番でまさかの事態が起こった。
突如、返しのモニターの音量を含む、会場全体の音量が極端に小さくなっていた。
舞台上の奏者は周りの音が拾えない状況になり、なんとか 聞き耳をたてて演奏したが、
本来の演奏とは、ほど遠いものになってしまった。
音響は音響室で制御されており、舞台上ではどうすることもできない。
自分自身、満足感にも似た気持ちを持ちながらステージに上り、
演奏上のミスもなかっただけに、大変無念の結果となってしまった。
その落ち込みは、なかなか元のテンションに戻せるものではなかった。

沈んだ気分のまま3日が過ぎ、4日目の朝、ようやく気持ちを絵の制作に切り替えようと
アトリエに向かう前に、ふと足が大和文華館に向いた。
入り口から展示館に向かう参道のような
ゆるやかなカーブのある傾斜の道の両側から、山野草が優しく私を迎えてくれた。
小雨の中、ぽつんと咲いた一輪のアザミのほのかな薄紫の清々しさは
涙を振り絞って懸命に上を向いて生きていこうとする姿のように見えた。思わず私は見入ってしまった。

館内は、漆工芸の展示だった。
その中の、細かな藤の花や生命観あふれる松が印象的な棗(なつめ)に足が留まった。
野宮(京都嵯峨野の野宮神社)を題材にした謡曲で
源氏物語の賢木(さかき)の巻を原拠としているというものだった。
六条御息所が、葵の上に源氏の愛を奪われた悲しみ悔しさを、松や藤で表現したというものであった。
その繊細でありかつ、力強い表現に、うつろな目をしていた私はハッとさせられた。

漆工芸の図案集のラインも興味深かった。
螺鈿細工のデザインもよくよく観察すると、グラフィックの参考になるような
モダンで時として斬新にも思えるようなデフォルメされた部分が多く発見できる。
常、日頃思うことだが、光琳をはじめとする淋派の絵は、レイアウトや色の置き方などがとても潔い。
べた塗りのような部分と、透かしてある部分との重ね合わせのバランスがよいものは
一見すると遠近感を無視しているかのように見えてしまうが
実はその計算された配置が、全体を通してのメリハリ感に結びついていることに気が付く。

漆と金箔のコラボレーションも 漆の乾燥の時間を利用して金箔を貼ってみたり
時間をうまく利用した質感作りなど それは、今の油絵や水彩画にも共通することである。

先人たちの仕事は、本当にすごい。
世界に誇れる素晴らしい日本文化がこんなに近くに、しかも沢山ある。奈良っていいところだなぁ。
少しくらいの落ち込みで、人生の貴重な時間を無駄に過ごしてはいけない。
そう・・・立ち止まっている場合ではない。
この悔しさを倍の飛躍に!そんな気持ちになって振りしきる雨の中、アトリエへ急いだ。5/19・記