以下現地説明会資料(高取町教育委員会、橿原考古学研究所発行)より要約
●はじめに
大型の横穴式石室をもつことなどから貴重な古墳として昭和56年国の史跡に指定されました。
今回石室の修復と石棺の復元などの整備を目的として、平成9年10月13日〜10年1月23日の間、
高取町教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を実施した。
●調査の概要
・墳丘
全長44m、後円部の径23m高さ7m、前方部は幅24m高さ4.5mの前方部正面が東向
きの前方後円墳である。
・石室
石室は後円部の中央に北方向に開口した全長11.6mの両袖の横穴式石室で玄室は長さ
6.2m幅2.5m高さ3m、羨道は長さ5.4m幅1.5m高さ1.8mである。
また、石室壁面には赤色顔料が塗られている。
・石棺
外法の長さ1.9m幅1.2m高さ65cmで二上山の凝灰岩製である。石棺外面には鮮やかな
赤色顔料が塗られまたノミの痕跡も残っている。
・木棺
石棺の前面に木棺に使われたと考えられる鉄釘を検出した。遺物の出土状況などからも
1棺以上の木棺による追葬があった。
・おもな遺物と出土状況
石棺と奥壁の間には武具や武器、鞍縁金具、馬具、装身具や須恵器片がまとまって出土した。
石棺の前面からは環頭大刀の柄頭、装身具や須恵器片が多量に出土した。
また、石棺内からの遺物の出土はなかった。
●まとめ
宮塚古墳は石室や石棺、須恵器の年代などから6世紀中ごろの築造と考えられる。出土遺物はおそらく
ほとんど盗掘で失いながらも種類・質・量ともまれにみる豊富さで、そのなかに特出すべきものとしては
釣鐘形杏葉がある。復元すると全長13.5cmの金銅装である。また金銅鈴の出土は奈良県では珍しく
2例目で全長2.6cmの小鈴で金色が美しい。その他、大刀を飾った全長3cmの水晶製三輪玉や冠の
一部と考えられる銀製の魚形歩揺が数点出土している。大型の石室とこれらのすばらしい出土品は
6世紀中ごろの古墳ではトップクラスの内容であり国際的な交流も感じられる。
![]() | 国史跡 市尾宮塚古墳 | ![]() |
多くの見学者が訪れました | 発掘調査前の外観(1997.4.29撮影) | |
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石室入口 | 石室内部(中央部に家形石棺) | 墳丘外観 |
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水晶三輪玉・環頭大刀 | 金銅製耳環・水晶切子玉・銀製空玉 | 金銅製耳環・ガラス玉・トンボ玉 |
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鹿角装刀子・弓金具・鉄釘 | 金銅装鞍金具/杏葉/辻金具 | 魚形歩揺・金銅製鈴 |
関連新聞記事(奈良新聞 平成10年1月30日)
・国際色豊かな副葬品[市尾宮塚古墳]