【第1部】森カシ谷遺跡の調査 −飛鳥時代の砦遺構か−
□報告:発掘調査報告 高取町教育委員会 木場幸弘氏
□講演:森カシ谷遺跡の歴史的背景 京都教育大学教授 和田萃氏
【第2部】高取城跡の保存と活用
□報告:高取城跡の現況 高取町教育委員会 富田真二氏
□講演:高取城跡の発掘調査と転用石材について 橿原考古学研究所附属博物館館長 河上邦彦氏
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■森カシ谷遺跡
以下高取町教育委員会発行「森カシ谷遺跡」資料、並びに記者発表資料より要約
●はじめに
森カシ谷遺跡は高取町大字森に所在する遺跡です。古代の官道(国道)である紀路が見下ろせる
丘陵上にあります。遺跡は平成14年度から高取町教育委員会が発掘調査を行っており、現在
約6,500m2を調査し、飛鳥時代の砦、終末期古墳、中世遺構、木棺墓などを検出し、土器
など多くの遺物が出土しています。
●調査の概要
佐田丘陵から派生する尾根全体から遺構を検出しました。尾根先端の頂部には6世紀に築造された
古墳の墳丘を再利用して土郭(土段)をつくっています。土郭の真ん中には東西4m南北3m深さ2.2m
以上の長方形の土壙(土穴)があります。内部には数カ所の柱穴がありました。土壙の西側には通路が
取りつきます。また周囲には柱穴がめぐります。土郭北東の一段低くなった尾根の張り出した部分に
2×5間の掘立柱建物跡を検出しました。建物と土郭は木橋のようなもので接続していたと考えられる
橋脚状の遺構も検出しました。建物前面と側面の三方向には棚列と考えられる柱穴列があります。
これらの遺構から須恵器・土師器の破片がわずかに出土しました。
また2号墳では、丘陵の南斜面から小石を詰めた十字型の一方向の長さ14m、幅60cmの排水溝を
検出しました。おそらくこの上面に墓室底部が置かれ側部や天井部など組み込まれ、版築による墳丘が
構築されたと考えられます。出土遺物は2号墳基盤、基底から須恵器、土師器、瓦など出土しました。
出土した須恵器の編年は飛鳥V〜X式期です。
●まとめ
今回の調査から森カシ谷遺跡の遺構は土郭、土壙、掘立柱建物、堀、柵など一連のもので遠くに
飛鳥中心部を見通せる立地や、下方の交通要所である紀路をおさえた古代の砦の遺構と考えられ、飛鳥
を防御した施設のひとつと考えられます。また、2号墳は排水溝の長さなどから14m規模の円墳で、
古墳の築造は出土遺物などから7世紀末ごろ(飛鳥X式期)と考えられます。飛鳥V・W式期には砦遺構
であるカシ谷遺跡が存在し、この砦を取り壊し削平して2号墳を築造しています。古墳の規模は明日香
村のキトラ古墳と類似し、古墳の位置や立地状況、下部構造などからも被葬者は天武天皇の皇子クラス
と考えられ、たいへん貴重です。
![]() | 森カシ谷遺跡 | ![]() |
森カシ谷遺跡遠景 | 墳丘上方から望む | |
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2号墳 | 2号墳排水溝 | 出土遺物:須恵器 |
●参考新聞記事
※「森カシ谷遺跡」平成14年12月17日付 奈良新聞
朝日新聞
※「高取城跡整備」平成15年1月15日付 奈良新聞
朝日新聞
※「森カシ谷遺跡」平成15年2月14日付 奈良新聞
朝日新聞
読売新聞
毎日新聞