骨董と私
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古い物がいい、手垢にまみれていてもいい。何人、何十人の手から手に受け継いできた物はなぜかほっとする。
古い物が身の回りに1つでも在ると安心する。私の骨董とは、昔から人々によって慈しまれ、大切にされていたものを言うようだ。
そのなかでも実用品でないものがもっといい。台所で、毎日燻されてきた大黒さんなどにはかなり溺れていた。また平安佛の残欠にはたまらない。
もちろん、皿や壺も嫌いではないが開業するわけではないので、そうは手元には置けない。
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蚤の市と骨董祭と骨董屋
骨董屋さんもいろいろある。これだけ応対の異なる業界も珍しい。いやな思いしか残らない店、いつまでも居たくなるような店。まだまだ敷居は高いところが多いのだが・・・。
最近大きな会場での骨董祭が盛んだ。平和島(東京)、北陸(金沢)、名古屋、京都、大阪、四国(高松)等は結構出かける。最近ここらあたりで、よく買う。一度にたくさん見れて手間が省けて嬉しい。たいてい半日以上は会場をうろうろする。平和島では2日間も通ったこともある。しかし、少々高めである。経費が掛かっているから仕方がないのであるが・・・。
蚤の市は、住んでいる場所柄(京都府南部の精華町)毎月の弘法さんと(毎月21日の東寺の露天市)天神さん(毎月25日の北野天満宮の露天市)は欠かしたことがない。こちらは買う方も売る方も、肩の力が抜けていて気楽だ。ゴミの楽しさも十分満喫できる。
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買い求めた物が、少しずつ溜まってくる。集まりすぎて骨董屋を開業せざるを得ない人の気持ちも分かるような気がする(私にはそれほどの量はないのだが・・)。
「十分楽しんだ物は人に廻したらいいよ」と骨董屋言われるが、なかなかこれができない。思い入れが有りすぎてかなり高い評価をし過ぎてしまう。これが素人のかなしさだが・・・。
ほんとうは、とっても良い物が数点身近に在ればよいのだが・・・いつもがらくたに埋まっている我が身が・・・・。
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木製の恵比寿大黒の中では「笹野の大黒」が好きだ。あの簡潔さは信仰と日常生活の純化以外の何物でもない。
山頭火の直筆にも眼がない。短冊でも軸物でもなんでもいい。彼の手が味わえる物だったら・・・。(山頭火の項に手持ちの直筆を数点紹介する)
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