「千の風になって」の詩の原作者について


執筆:オーママミア Quinn

こちらの掲示板でたびたび話題となった『千の風になって(Do not stand at my grave and weep)』の原作者についてまとめてみました。結論から言うと、原作者はメアリー・フライ(Mary Frye)というアメリカ人女性です。
そしてこれが、彼女の生まれて始めての作詩でした。

各国で行われる戦争記念日、慰霊祭では、必ずといってよいほどこの詩が登場し、遺族の心を和らげています。しかし、あまりに有名な詩にもかかわらず、原作者については、つい最近まで知られることなく過ぎてきました。この詩人が市井の人を貫いたため、資料が少なかったのがその理由だと思われます。

比較的まとまっている英文資料から、一部抜粋して訳してみました。ご参考となれば幸甚です。

★もっとも愛されている詩の作者は誰だ?−(ジェフ・スティーブンソス著)

『Do not stand at my grave and weep』(千の風になって)の原作には諸説があり、アメリカ先住民説まで飛び出しました。英米国の双方で作者探しが盛り上がり、ついにメアリーに辿り着きます。

メアリーの地元ラジオ局でのインタビューより

メアリー・フライは家庭的で、常識があり快活な94歳のようだ。
これはメアリーが自身の言葉で語った親友マーガレット・シュワルツコフ(Margaret Schwarzkopf)の事である。
時は1932年に遡る──

「そうね、マーガレット(ドイツ系ユダヤ人)はドイツから来たの。ちょうどヒットラーが政権を取ってね、お母様も国外に出たかったんだけど、老齢の上、具合も悪くて来れなかったのよ。彼女はそれこそ何時もお母様の事を心配していたわ。何しろ全然手紙が来ないのよ、だから日ごとに心配を募らせていたわ。

私たち大使館を通してできる限りのことをしたわ。わかるでしょ? その手の事って。ようやく事が判明したんだけど、お母様は亡くなってたの。それで、マーガレットは実際に神経衰弱を患ってただ泣くばかり。毎日、毎日泣き暮らしていたわ。

ある日一緒に買い物に出たの、茶色の紙袋に買ったものを入れて、家のキッチンテーブルで仕分けをしていたのよ。そしたらね、何だか分からないけど、私の買ったものを見てマーガレットが泣き出したの。「それ、私の母が好きだったの。」ってね。
「マーガレット、お願いだから泣かないで。」っていったの。そうしたらマーガレットがね、「何が一番悲しいかって、私は母の墓標の前に立ってさよならを告げる事も出来ないのよ( I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.)。」涙に目をぬらしたまま、2階の自室にひきこもったわ。
(注;ドイツの情勢が反ユダヤ人に向かっており、帰れる状況ではなかった。)

その時メアリーの手には、買物を点検するためのペンが握られていた。メアリーは、引きちぎった茶色の買物袋に、一息に込み上げる詩を書き付けた。
しばらくして、落ち着きを取り戻したマーガレットが階下に下りてきたとき、メアリーはマーガレットに紙切れを差し出した。「これ、私が書いた詩なの。私の思う人の生と死のあり方≠ネの。あなたのためになるかどうか分からないけど。」
マーガレットは詩を一読し、メアリーを抱きしめて言った。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かった。



マーガレットはこの詩を職場へ持っていった。彼女の同僚の友人が連邦政府印刷所に勤めており、そこからこの詩が作者の手を離れていったのだ。

1932年にメアリーが書いたオリジナルバージョン

Do not stand at my greave and weep
Words by Mary Frye

Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain
I am in the morning hush
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight
I am the starshine of the night
I am in the flowers that bloom
I am in a quiet room
I am in the birds that sing
I am in the each lovely thing
Do not stand at my grave and cry
I am not there I do not die


千の風になって
オーママミア訳詞(文才無くてすみません m(_ _)m )

私の墓標の前で泣かないで
私はそこにいないのだから 私は眠ってなんかいない
私は千の風になって渡ってゆく
私はやわらかく 舞い降りる雪
私は優しく降り注ぐ雨
私は野に実る穂
私は朝の静寂の中に
私は水辺にたなびく灯心草
空を旋回する美しい鳥たちとともに

私は夜空の星の光
私は咲き誇る花たちとともに
私は静かな部屋の中に
私は歌う鳥たちとともに
私は全ての素晴らしいものとともにあるの
だから、私の墓標の前でなかないで
私はそこにいないの 私は死んではいないのだから


インタビューのテープの中で、何故メアリーの詩がここまで愛されるに至ったか、彼女が本当に困惑している様子が伺える。
そして、明らかになった事実は、この詩になんら著作権が設定されていない事である。この詩が人々の共有財産であるため、彼女は一銭の報酬も受けていないのである。
この件についてメアリーは、次のように話す。「この詩は私だけのものじゃないの、皆のものよ。今でもそう思うの。これは、愛や安らぎについて書いたのよ、もし私がお金を受け取ったりしたら、意味が無くなるわ・・・。多分、いかれてるんでしょうね。」

次のサイトでミュージカル版のTo all my loved one−Do not stand at my greave and weep≠ェ視聴できます。これはこれで味わいがありますよ。
http://www.donotstandatmygrave.com/sample.htm

上記のインタビューを含む原文(英文)は、次のページでご覧になれます。マーガレットの写真は出ていますが、メアリーの写真はありません。
http://www.toallmylovedones.com/article.pdf



★英国タイムス記事−メアリーの生い立ち

1905年11月13日、メアリー・エリザベス・クラークはオハイオ州デイトンに生まれる。3歳で孤児となり、12歳の時にバルティモアに居を移す。
正式な教育を受けていないにもかかわらず、メアリーは優れた記憶力と熱心な読者であった。1927年に衣料業を営むクラウド・フライと結婚、メアリーは自ら花を育て販売も手がける。

メアリーは折々に動物のチャリティー団体のために詩を書き続けたが、どれも彼女の一作目には遠く及ばなかった。彼女は自作の詩を出版する事も、著作権を取る事もしなかった。このことが長年に渡り、原作から派生作品が生まれる要因にもなった。

一女を儲けるが、1964年に未亡人となる。

メアリー・フライ 主婦、詩人。1905年11月13日生 2004年9月15日没 享年99
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,60-1344731,00.html

オリジナルと著作権のある作品の対比
http://www.cantusquercus.com/9611text.htm

掲示板にも書き込みましたが、当時のアメリカには数多くのヨーロッパ系ユダヤ人がいたと思われます。そして、自分の親族を救う手立ても無く、自分だけ生き延びたという自責の念を抱いた人も少なくなかったのでは?
この詩は、そういった時勢と祖国においてきた人を悼んでいる人々の心を和らげたようです。そして、その後も延々と続く数々の戦争や、事故で愛する人を亡くした人たちが、この詩を口ずさみ、心の傷を癒しているのです。


*注釈
メアリーの原作は、皆さんのご存知のバージョンとはかなり違っております。
私(オーママミア)が原作者探しを思い立った理由は、アメリカ人の詩と思われるのに秋の雨=autumn's rain(アメリカでは秋=Fallです。)の表現に違和感を抱いたからです。

翻訳の際問題となりました箇所は、次の2行を一つのセンテンスとするべきか? RUSHをどう訳するかでした。

I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight

私は、メアリーの心が千の風になって様々な景色を渡って行く有様を表現したかったので、2行を敢えて切り離し、RUSHを「灯心草=水辺に群生する藺草(イグサ)」としました。
また、Of≠ヘ前文に掛かるのではなく、Like=〜のように≠ニ解釈しました。



copyright (C) オーママミア Quinn 2005(Thu,10 Feb 2005)