「われは海の子」

作詞作曲者不詳/文部省唱歌(六年)

写真はtomomiさんです

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我は海の子白浪(しらなみ)
さわぐいそべの松原に、
(けむり)たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家(すみか)なれ。

生れてしおに浴(ゆあみ)して
(なみ)を子守の歌と聞き、
千里(せんり)寄せくる海の気(き)
(す)いてわらべとなりにけり。

高く鼻つくいその香(か)
不断(ふだん)の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽(がく)と我は聞く。

(今の教科書では、以下は載せていません)

丈余(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ浪まくら、
百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底
遊びなれたる庭広し。

幾年(いくとせ)ここにきたえたる
鉄より堅(かた)きかいなあり。
吹く塩風(しおかぜ)に黒みたる
はだは赤銅(しゃくどう)さながらに。

浪にただよう氷山(ひょうざん)
(きた)らば来(きた)れ恐れんや。
海まき上(あ)ぐるたつまきも
(おこ)らば起れ驚(おどろ)かじ。

いで大船(おおふね)に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦(ぐんかん)に乗組みて
我は護(まも)らん海の国

鹿児島市の中澤さんから、次のようなメールをいただきました。ありがとうございます。(2003/01/18)
「われは海の子の作詞者の件」

毎回楽しく聞いて居ります。
早速ですが、「われは海の子」の作詞者は児童文学者の故 宮原晃一郎(本名 知久)氏(1882−1945)が10歳まで住んでいた故郷鹿児島の天保山公園の海岸から見ての桜島を思い浮かべて作詞されたと言われてます。
根拠、1908年、文部省が募集の新体詞の懸賞に応募して佳作となった「海の子」を、氏の長女である典子さんが、入選通知と著作権譲渡要請の手紙の保管をしていたことを新聞等で公表されたので明らかになり、鹿児島市民の有志が音頭を取り募金(1千万円以上)を集めて、鹿児島の桜島が見える祇園の洲公園に「われは海の子」の歌碑(縦1.7m、横3m)を建てた。
参考になればと思います。
http://www.karukan.com/pc/084_uminoko.html


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