「鎌倉」

芳賀矢一作詞・作曲者不詳/文部省唱歌

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長谷の大仏

写真はnuuminさんの撮影です。



1.
七里ガ浜(しちりがはま)の磯伝(いそづた)い、
稲村ケ崎(いなむらがさき)、名将(めいしょう)
(つるぎ)(とう)ぜし古戦場(こせんじょう)(注1)

2.
極楽寺坂(ごくらくじざか)越え行けば、
長谷観音(はせかんのん)の堂近く
露坐(ろざ)の大仏おわします。

3.
由比(ゆい)の浜べを右に見て
雪の下村(したむら)(注4)過行(すぎゆ)けば、
八幡宮(はちまんぐう)の御社(おんやしろ)

4.
(のぼ)るや石のきざはしの
左に高き大銀杏(おおいちょう)
問わばや、遠き世々(よよ)の跡(あと)(注2)

5.
若宮堂(わかみやどう)の舞(まい)の袖(そで)
しずのおだまきくりかえし
返せし人(注4)をしのびつつ。(注3)

6.
鎌倉宮(かまくらぐう)にもうでては、
尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに
悲憤(ひふん)の涙わきぬべし。

7.
歴史は長き七百年(しちひゃくねん)
興亡(こうぼう)すべてゆめに似て、
英雄墓はこけ蒸(む)しぬ。

8.
建長(けんちょう)円覚(えんがく)古寺(ふるでら)
山門(さんもん)高き松風(まつかぜ)に、
昔の音やこもるらん。

(注1)元弘の乱(1331-1333)で、新田義貞が北条高時を滅ぼしたとき、士気を高めるため名剣を海に投じた。(資料出所は、講談社文庫「日本の唱歌(上)」など。以下同じ)
(注2)源頼朝・北条政子の次男、源実朝(1192-1219)は、鶴岡八幡宮の銀杏の木の陰で待ち伏せしていた甥の源公暁に刺殺された。
(注3)源義経の愛妾、静御前は頼朝に捕らえられ鎌倉に送られて、義経をしのぶ舞を舞った。後日義経の子を産んだが、由比ケ浜に沈められた。
(注4)昭和6年の改訂版で、「雪の下村」が「雪の下道」と、「返せし人」が「返しし人」と改められました。


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