「一番はじめは」

わらべ歌《手毬歌》

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(あなたはどんな歌詞・メロディで歌っていますか?)



(鳥取東伯耆/ごんべ007が昭和20年代に歌っていたバージョン)

一番初めは一の宮
二は日光の東照宮(とうしょうぐう)
三は佐倉の宗五郎(そうごろう)
四はまた信濃の善光寺
五つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様(ちんじゅさま)
七つ成田の不動様
八つ八幡の八幡宮(はちまんぐう)
九つ高野(こうや)の弘法様(こうぼうさま)
十で東京招魂社(しょうこんしゃ)


三重県・伊勢市(旧名・宇治山田市)が故郷のmakoさん(56歳)は、
8番を「八つ 山田の伊勢神宮」、10番を「十で 東京二重橋」
と歌っておられたそうです。(2001/01/17)


昭和20年代に愛知県で育ったThe Hiraosさんの歌ったバージョンには、下記の歌詞が続き、
メロディは「三は佐倉の宗五郎」のところから始まり、最後の「泣いて血を吐くほととぎす」は、
「はーやく帰ってちょうだいな」のメロディの繰り返しとなるそうです。
The Hiraosさん、ありがとうございました。(2001/08/17)

十一 一願かけたれど
浪子(なみこ)の病いは なおらない
ごう ごう ごうごと 行く汽車は
浪子と武夫の別れ汽車
ハンカチふりふり ねえあなた
はーやく帰ってちょうだいな
泣いて血を吐く ほととぎす


岐阜・東濃出身の☆745さんは、十一以下を次のように歌っておられたそうです。(2001/10/14)

十一心願掛けたなら
浪子の病は治らぬか
ごうごうごうごうなる汽車は
武雄と浪子の別れ汽車
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐く不如帰


愛知県出身、35歳のKyoko Tanakaさんの場合、十一以下は次のようだったそうです。(2002/11/15)

十一心願掛けたなら
浪子の病は治らぬか
武雄が戦争に行くときは
白い白い真っ白い
ハンカチ振り振り
「ねえあなた、早く帰ってちょうだいね」
ごうごうごうごうなる汽車は
武雄と浪子の別れ汽車
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐く不如帰、不如帰

(以下、Tanakaさんの補足説明です)
縄跳びのうたで、2人が縄を回して残りのみんなが連なって飛んでいくんですが、
普通一〜十の人は4回(4小節)のところを、十一に当たった人は浪子と武雄のくだり分、
長々と跳ばなければいけない・・・っていうものでした。微妙に自信ないですが・・・


長谷川さんからもメールを頂きました。(2002/12/15)

明治生まれの祖母が私の小さい頃に歌ってくれました。
小学1年の娘がお手玉に興味をもち、
教えてあげたいと思いこのページを開いて見ました。

一番初めは一の宮
二また日光中禅寺
三また佐倉の宗五郎
四また信濃の善光寺
五つは出雲の大社(おおやしろ)
六つは村村鎮守様
七つは成田のお不動さん
八つは八幡の八幡宮
九つ高野の弘法様
十で東京泉岳寺
これほど信(神)願 かけたのに
浪子の病はなおらない
武夫が戦地に行くときは
白きま白きハンカチを
うちふりながらも ねえあなた
はやくかえってちょうだいね
泣いて血を吐く ほととぎす


57歳のミセスまーさんが、子供の時実際に歌ってお手玉をしていた歌詞です。(2003/05/14)

一番はじめは一宮
二また日光東照宮
三また桜の咲く頃に
四また吉野の八重桜
五つ出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様
八つ八幡の八幡様
九つ高野の弘法様
十で東京二重橋
これほど 信心掛けたのに
浪子の病は治らない
ぴーぴーごーごー鳴る汽車は
武夫と浪子の別れ汽車
二度と会えない あの汽車に
ハンカチ振り振り さようなら
さようなら


老人介護の仕事をしておられるワタナベさん(25歳)からメールをいただきました。(2003/05/30)

私の職場でお年寄り(80歳代・群馬出身の女性)から教えてもらった
「一番はじめは」の歌詞が面白かった(?)のでメールを送らせていただきます。

一番はじめは一の宮
二また日光中善寺
三また佐倉の宗五郎
四また信濃の善光寺
五つは出雲の大社
六つは村村鎮守さま
七つは長野の不動様
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の高野山
十は東京心願寺
これほど心願かけたなら
ナミコの病は治るだろう
ゴーゴーゴーゴーと鳴る汽車は
タケオとナミコの別れ汽車
二度と逢えない汽車の窓
泣いて血を吐く不如帰
いよいよ戦争が始まった
日露の戦争が始まった
さっそく逃げるはロシア人
死んでも進むは日本人
八月十日の戦いで
6人残して皆殺し
(ココらへんがかなり曖昧なのですが)
あれはナミコの墓参り

というものです。後半部分は忘れてしまったようで、
途中からかなり曖昧なのですが、よく歌っておられます。
こんなに長いのにうまく終われないがゆえに、
ついついエンドレスになってしまったりして…。
それにしても日露戦争がリアルに出てくるというのは時代、でしょうか?

ちなみに80代90代の方と歌ってスゴイ!と思うのは、
「青葉茂れる桜井の」や「金色夜叉の歌」を、
そらで歌える方が大勢いることです。
勿論怪しいところは何点かあるのですが、
かなり痴呆が進んでいても、歌い始めると口ずさんでいます。
歌の力は偉大だなぁ、と感じています。
初めて聴いて覚える私達はなかなか追いつきません…。


富山県在住の、まちさんからメールを頂きました。(2004/03/01)

「いちばんはじめは一宮」を見ましたら、
ずいぶんいろいろのバリエーションが載っています。
おぼえているのとの違いが興味深く思われます。

いちばんはじめは一宮
二で日光東照宮
三は佐倉の宗五郎
四また信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々鎮守さま
七つ成田の不動さま
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法さま
十で東京本願寺
これほど心願かけたのに
浪子の病は治らない
ああ 浪さんよ なぜ死んだ
わたしをおいて なぜ死んだ

どこかに「汽車と汽車とのすれ違い 泣いて血を吐く不如帰」
という文句もあるのですが、この続き具合はわかりません。
明治生まれ、三河生まれの祖母が歌っていました。

また、私のひとつ前の方の歌詞の最後に、
日露戦争の数え歌が紛れ込んでいますね。
これは、「一列談判破裂して、日露戦争はじまった、
さっさと逃げるはロシヤの兵、死んでもつくすは日本の兵、
五月十日の戦いは、六人残してみな殺し・・・以下不明」
と聞きおぼえております。


kishitaさんから、メールを頂きました。(2004/11/05)

島根県に住む、老人福祉に携っている30代の者です。
「一番はじめは」はいろんな歌詞があるのですね。
地方によっても、かなり歌詞が違うのでしょうが……、
うちの64歳になるお袋さんが、かなりのところまで
覚えていたので、メールします。

一番はじめは一の宮
二また日光東照宮
三また讃岐の金毘羅さん
四また信濃の善光寺
五つは出雲の大社
六つ、村村天神さん
七つ、成田の不動さん
八つ、八幡の八幡さん
九つ、高野の弘法さん
十で所の氏神さん

これほど信心したなれど
ナミちゃんの病は治らせぬ
ゴーゴーゴーと鳴る汽車は
タケオとナミコの生き別れ
二度会われぬ汽車の窓
泣いて血を吐く不如帰

タケオがボートに移るとき
ナミコは白いハンカチを
振り振りながら、ねえあなた
はやく帰ってちょうだいな

一列談判破裂して、
日露戦争始まった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
5万の兵を引き連れて
6人残して皆殺し
7月8日の戦いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロポトキンの首落とし
東郷大将万々歳
大山大将万々歳
中条大将万々歳


匿名さんからのメールです。(2005/03/25)

はじめまして。兵庫県在住の○○○といいます。
実に五十数年前、三重県の松阪市に住んでいましたが、
母が私と2つ違いの姉にお手玉を教えながら歌っていたのを記憶しています。
出だしのメロディーは一緒なのですが、最後のほうは少々違っていました。
(楽譜がないのでお示しできませんが)

歌詞については、八番は
「八つは、大和の法隆寺」

十番は
「とおは、所の産土(うぶすな)さん」

と歌っていたような記憶があります。内分古いことですので。


三重県久居市の中村さんから頂いたメールの抜粋です。(2005/09/15)

母親(大正9年生まれ:三重県伊勢市出身)から聞いた数え歌の歌詞は、

一番初めは一の宮
二は日光の東照宮(とうしょうぐう)
三は佐倉の宗五郎(そうごろう)
四はまた信濃の善光寺
五つ出雲(いずも)の大社(おおやしろ)
六つ村々天神(てんじん)
七つ名古屋の熱田(あつた)
八つ山田の伊勢神宮
九つ高野(こうや)の弘法(こうぼう)
十で東京二重橋

でした。


tateさんからのメールの抜粋です。(2008/01/27)

風呂に入ってると突然母に教わった数え歌が口をつき、
「一番初めは一宮・・」全部歌えるのですが、
「十は東京 ショウコンシャ」の「ショウコンシャは靖国神社のことよ」
と母に言われたのは思い出しますのが字が思い浮かばず、
ネットで調べると・・・あっさりそちら様のサイトが見つかりました。
おかげで招魂社とわかり、すっきり。
もひとつ、私が母に教わったのは

「四は柴又の帝釈天」

でした。
それと、他はすべて思い当たるのですが、

「三は佐倉の宗五郎」

の宗五郎とは、寺社仏閣なのでしょうか?
ご存知ならお教えください。
佐倉は千葉でしょうか?
いきなりの質問ですみません。
当方55年生まれの女子です。

※YAHOOやGoogleで「佐倉の宗五郎」を検索しましたところ、宗五郎は神社仏閣では
なくて、江戸時代(5代将軍綱吉の頃)の千葉佐倉の義民のようですね。(gonbe007)



『ごんべ007掲示板』に、おおたともやさんが書き込んでくださいました。(2013/01/03)
「一かけ二かけて」のところにアップしていましたが、こちらに移動しました。(2013/10/12)

一かけ二かけての歌について 投稿者:おおた ともや
投稿日:2013/01/03(Thu) 20:47 No.48818

一かけ二かけての歌ですが、まりつきしながら昭和20年代に歌いました。

一番初めは一の宮、二また日光中禅寺、
三また佐倉の惣五郎、四また信濃の善光寺、
五つは出雲の大社、六っつ村々鎮守様、
七つは成田の不動様、八っつ八幡の八幡宮?
九つ高野の高野山、十はとうとう寒山寺?

ちょっと正確なところはすいません、忘れました。


富山県新湊のHN駄老さんからも、メールを頂きました。(2015/01/07)

「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」楽しませていただいています。
「一番はじめは」の歌詞ですが、当地(富山・新湊)で曳山祭りの掛け声に使って
いる歌詞は、次のようなものです。

一番初めの 一の宮
ニぃは(wa)と 日光東照宮
三はと 佐倉の宗五郎
四はと 信濃の善光寺
五つは 出雲の大社(オオヤシロ)
六つ 村々鎮守様(または八幡さん)
七つ 成田の不動さん
八つ 大和の大神宮
九つ 高野の高野山
(トオ)で 東京明治神宮

これだけ信心したけれど
浪子の病気は治らない
武雄が戦争に行くときは
白い白い真っ白い
ハンカチ振ってネェあなた
早く帰って頂戴ね
ボーボーボーボと鳴る汽車は
武雄と浪子の別れ汽車
二度と会えない汽車の窓
鳴いて別れてホトトギス(または、泣いて血を吐くホトトギス)

しかしこの歌詞には矛盾が
「不如帰」の武雄が行った戦争は日清戦争で、当然明治神宮はありません。
ですが、ゴロがいいのでみんな平気で唄っています(笑)。
「十でとうとう大神宮」と唄う者もいます。






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